アテネ行き、イスタンブールの思い出

チャンピオンズリーグ決勝戦でLiverpoolを応援するため、旅行会社の観戦ツアーに申し込んだ。
準決勝進出の頃より、アテネ行きを考えていたけど、5月2日にいざ決勝進出が決まっても、やはり仕事の休みがとれなければ行けない。そこで上司に了解をもらうために連休明けまで申し込みができないでいた。そうするとどんどん残席がなくなってしまった。
連休明けに意外とすんなりと了解をもらい、それからいくつかの会社の案内を見て申し込んだので、既に申し込み終了のものが多く、出遅れ感は否めなかった。今日になって、やっと取れたのだ。さっそく申込書を送り、申込金を振り込む。


2年前にイスタンブールに行った時、それはまさに天からの贈り物だった。
準決勝2戦目の勝利で約20年ぶりの決勝進出を恵比寿のパブで観戦しおえた瞬間、僕はイスタンブールに行ってくると決心した。
しかしながらチケットをどうやって手に入れるかの考えはなかった。ところがここで奇跡が起きた。約1週間後に、UEFAの公式サイトで申し込んでいたチケット2枚が当選したという日本人が、自分は行けないので、リバプールのサポーターズクラブの人に譲りたい、という申し出をしてくれたのだ。サポーターズクラブでもう一人、イスタンブールに行きたいと言っていた人とありがたく譲り受けることにした。それから2人で手分けして航空券とホテルの予約を行った。試合のわずか2週間前のことである。おかげで飛行機は羽田から関空に国内移動して、ドーハに向かうカタール航空の夜行便に乗り、試合当日にドーハからイスタンブールに入るということになってしまい、ホテルも2泊続けての予約が出来ず、1日ごとにホテルを移動することになってしまった。カタール航空なんてその時に初めて聞いた名前だった。

イスタンブールに着いてからも、スタジアムに向かう専用バスがあったものの、郊外にあるスタジアムに向かう道は大渋滞。最後には正式なバスの終点に着く前に道路に降りて歩いてスタジアムに向かった。そうして無事にスタジアムの席に着いたのは、もうキックオフの直前だった。スタジアムで買おうと思っていたプログラムやスカーフはおろか、飲み物さえも買えず、それでも日本から持ってきたサポーターズクラブのバナーをなんとしても掲げなくてはと思い、すでに目ぼしいところはさまざまなバナーで埋め尽くされていたため、1階の席から3階席までスタンドを駆け上がり、なんとか最低限の目的は果たした。

後の展開は、なぜか突然今週発売のニュース週刊誌AERAでも取り上げられていたように、皆さんご存知の通り歴史的な結果となった。でも正直に告白すると、前半に3点取られた時には、喉の渇きに耐えながら「堅守のイタリアのチームを相手に3点も取られてしまった。これは決勝戦に来ることができただけで満足しなければならないのか」と思い、後半に1点取った時でさえ、「無得点で帰るよりはマシか」と思うのが精いっぱいだった。2点目を取った時にやっと勢いを感じて、これは行けると思って、実際その直後に3点目を取り同点に追いついた。延長戦になってJamie Carragherが足を攣ってしまった時には、本来はミッドフィールダーであるSteven Gerrardがディフェンダーとして必死になって仲間をサポートしていた。それがたまたま僕のスタンドのサイドだったため、その姿を間近で見た僕は涙をこらえることが出来なかった。相手の猛攻をしのいでPK戦になった時には、ここまで来たらなんとでもなれ、とむしろ落ち着いて見ることが出来た。
この時も後で見たテレビには映らなかったシーンに感動していた。Liverpoolで唯一外してしまったJohn Arne Riiseがとぼとぼと戻る時、Steven Gerrardが近寄って肩を抱いて声をかけていたのだ。昔はやんちゃだったStevieも、誰にも文句を言わせない立派なキャプテンになっていた。イスタンブールは、僕にとって忘れられない場所となった。

2年前の決勝の地は、異国情緒のあふれる歴史的な街で行われた。会場はトルコがオリンピック招致を目指して作ったオリンピックスタジアムだった。今年もまた、エキゾチックな古代都市で、実際に2004年のオリンピックの会場となったスタジアムでの開催。相手も同じAC Milan。チケットの入手は2年前と同じという訳にはいかなかったけど、今回もまた街を陽気なScouserたちによってYou'll Never Walk Aloneの歌声、真っ赤なシャツで埋め尽くせそうな感じがしてならない。