倉敷

出張の合間に時間が空いたので、あまり下調べをする時間がなかったけど、太田和彦の「ひとり旅ひとり酒」を参考に、25、26日の週末倉敷に行ってきた。倉敷に行くのは初めて。

まずは土曜日。夜勤明けに新大阪から新幹線で岡山へ、岡山から在来線に乗り換えて倉敷に着いたのはお昼前。当日の朝予約した宿は、明治時代に建てられた紡績工場の外観をそのままホテルに再利用した、アイビースクエア。チェックインの時刻には早いものの、荷物が重いのでホテルのフロントで荷物を預かってもらうことにした。

身軽になってから倉敷観光のメインストリートである美観地区に出る。川というより堀や運河のような役割であろう倉敷川沿いに蔵造りの建物が並ぶ景色はまるで時代劇のセットみたい。端から端まで歩いても数分かからない程度だけど、確かに美しい景色だ。
倉敷川沿いは華やかな観光客向けだけど、その北側の本町通りは旧街道沿いで生活に密着した感がありまた違った趣がある。

散歩もしたのでお腹がすいた。昼は地ビール工房も兼ねる「吉備土手下麦酒酒房 倉敷つららら」にて、定番麦酒の試し呑みを注文した。食事はメニューがあるものの、夜向けのものばかりで昼はあまり出せないと言う。仕方なくたこわさとさんまの酢漬けを頼み、ビールをちびちびと飲む。飲んだビールは3種類。ミディアムの「御崎」、フルーティーな「香りの麦」そしてスタウトの「吉備の烏」。夜勤明けで歩いているのですぐに酔いが回る。

ビールを飲んだ後で、近くにあった「倉敷ゲゲゲの妖怪館」を冷やかす。土産物屋の2階の小さな部屋に入館料300円というのはどうかと思うが、ちょうどこの日の朝、毎日楽しんで見ていた水木しげるの奥様の自伝を原案にしたNHK連続テレビ小説ゲゲゲの女房」が最終回、ということで何かの縁と思い、見てきた。入場記念に帆布の鬼太郎コースターをもらったので、このお土産代と思えば気にもならない。

お昼ご飯が物足りなかったので、ホテルに戻る途中で瀬戸内海沿岸の名物であろうちくわと、岡山蒜山高原のソフトクリームを食べ歩き。そして一旦ホテルに戻りチェックインして、夕方まで仮眠する。

目が覚めるとすっかり夕景色だった。暑かった夏もようやく終わり、これからだんだん日が短くなっていく。倉敷川は夜になるとライトアップがある。それを目当てにまだ観光客がそぞろ歩きしている。それを横目に向かったのは居酒屋「八重」。外観は小料理屋風だけど、カウンターがあるので一人でも平気。何組か先客がいたけど、お店の人に薦められるままに先客の間に席を取る。

ビールは昼間飲んだので、最初から熱燗を注文。突き出しはイイダコ。このお店は瀬戸内の魚料理が中心のようだけど、一人では何を食べようかと迷う。そこでお任せでお造り1人前をお願いする。出てきたのは白身魚の3種。それと岡山名物のままかり。そして豆腐を揚げた生あげ。酒は地元倉敷の菊池酒造の燦然本醸造上撰。モーツァルトの流れる蔵で作られた酒で、2009年広島国税清酒鑑評会優等賞受賞酒だ。

ひとりで酒を飲んでいると、隣の客からお宅はどちらから、と話しかけられる。茨城からです、というと茨城のどこ?と続く。いやに詳しいと思ったら、その老紳士は先日茨城の袋田の滝に行ったり、水戸に行ったりしたそうだ。すでに会社勤めを引退したようなその人は、各地に散らばった山口の高校の同級生と毎年どこかで集まって酒を飲み語り合っているそうだ。倉敷の歴史にも詳しいらしく、大原美術館では今、創立80周年記念で、各地に貸し出しているような絵も戻って展示しているので、ちょうどいい時期に倉敷に来たという。今日はまだ見ていなくて明日見に行く予定だ、と話すと、ぜひ音声ガイドを借りて聞いて見なさい、という。その老紳士と話していたもう一人の人も、僕と話すまでは2人で話をしていたので連れなのかと思っていたが、地元の人でよくこの店には来るが、実はその紳士とは初めて会ったそうだ。いつの間にか3人で話をする格好になり、老紳士は僕たちにこれもまた倉敷の森田酒造場の荒走りをごちそうしてくれた。老紳士も興に乗ってきて、僕たちに、よしこれから5分間で倉敷の歴史を教えてやる、と言って店の外に連れ出した。

連れて行ったのは居酒屋のすぐ近くのアイビースクエア。ここのレンガの積み方をよく見なさい、という。このレンガはイギリス人の指導のもと、山口県で作られたものだというが、こうやって長辺と短辺を交互に置くのがイギリス流だ。これは奥行きがあるので丈夫な積み方だが、その分材料費が高くなる。その後の日本人のやり方は全部長辺だけで積んでいる。これだとイギリス流よりも奥行きが半分で済むから安くできる。それから、今は暗くて見えないが、この屋根の瓦には倉敷紡績の「二三」の社章が入っている。それは「人は一番になると慢心する。一番であっても常に二番、三番の気持ちを忘れるな」と言った意味だだそうだ。と言った話を多少酔っぱらって気持ちがよくなりながら聞かせてくれた。

これが翌朝撮ったイギリス流で積んだレンガ。

こちらが日本式で積んだレンガ。

結局話は5分では済まなかったが、話の後、ふたたび「八重」へ。先ほど一度会計をしたのだが、それからもう一杯となった。間もなく彼は先に帰ったのだが、お店の人によれば彼の名前はM氏。ああやっていつも話をしていくのだそうだが、今日の弟子(僕たちのことですね)は話をよく聞いてくれたのでうれしかったんでしょう、と言う。それはこちらも同じで、初めての街でひとりで飲んでいてその土地の人の話を聞くのは面白いものだ。お店ももうのれんを閉まっている。他にもう一軒飲み歩いてみようかとも思ったけど、予定外に長居したので今日はホテルに帰ろう。


明けて日曜日。天気も晴れて気持ちがよい。ホテルの朝食を食べた後で、アイビースクエアの中庭を散歩する。

屋根を見上げると、確かに「二三」のマークがあった。昨夜の愉快な話を思い出しつつまずは倉紡記念館へ。ここはアイビースクエアに泊まると入館無料になる。

その後、今日のメインである大原美術館へ。泊まったアイビースクエアは元の倉敷紡績の工場だったが、大原美術館倉敷紡績の創業者の大原家の私立美術館だ。倉敷は大原家によって栄えたと言っても過言ではないだろう。

美術館に入って最初に目にするのが児島虎次郎の絵。大原美術館はこの岡山出身の画家児島虎次郎と、倉敷の実業家大原孫三郎との関係から生まれたのだ。画才のある児島と財力のある孫三郎、児島はヨーロッパで孫三郎の援助により絵を学んだが、学ぶだけでなくたくさんの絵を購入して日本に持ち帰った。孫三郎はきっとカネは出すが口は出さない感じだったのだろう。M氏の教えに従い借りた音声ガイドによれば、この美術館の目玉の一つであるモネの「睡蓮」も、児島が直接モネに依頼して、モネも自身が影響を受けた浮世絵の国日本に渡るのだと言う思いから熟慮の上この絵を選んだ、というエピソードがあったそうだ。バブル期の名画買い占めとは次元が違う。その他にも児島がパリで買い付けたたくさんの絵が、その後の日本の美術に大きな影響を与えたのは間違いない。日本で印象派の人気が高いのも無関係ではあるまい。

もう一つの目玉であるエルグレコの「受胎告知」は、それまでの19世紀後半の絵とは雰囲気が異なる、1603年頃の絵。宗教画の優劣はよくわからないけど、倉敷が栄えたのは、関ヶ原の後徳川家の天領になったためというので、ちょうどこの絵が描かれた頃と同時代なのかもしれない。その絵がこの倉敷にあるというのも何かのつながりがあるような気がしてきた。

大原美術館は、本館だけでも印象派からピカソやジャクソンポロックなどの20世紀美術まで幅広い絵が展示されている。音声ガイドは本館だけだったけど、他には「民芸」や焼き物、版画の工芸・東洋館、第二次世界大戦以降の日本の美術の分館、アイビースクエアにある児島虎次郎記念館の4つからなる。これら4つを3時間かけてじっくり楽しんだ。
美術鑑賞の合間には美術館脇の蔦の絡まる喫茶店「エルグレコ」で休憩。天井の広い空間は、広いテーブル席が多く相席が基本のようだったけど、ミュージアムショップで買った「大原美術館名作選」を見て余韻に浸った。

倉敷は、イメージとしては昔の国鉄のキャンペーン、ディスカバージャパンで人気が出た観光地、というくらいしかなかったけど、その実力は予想以上だった。最後にもう一つの岡山名物、祭り寿しを食べて倉敷を後にした。

倉敷のその他の写真はこちらに載せましたので併せてご覧下さい。


ひとり旅ひとり酒

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