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「桜田門外ノ変」、オープンロケセット

本日公開の映画。水戸の千波湖畔のオープンロケセットを中心に、茨城県内各地で撮影された映画。せっかくなのでゆかりの地である水戸の映画館「シネプレックス水戸」で見てきた。

映画は歴史的な井伊直弼暗殺のシーンが前半に早くも登場する。主人公関鉄之助の回想シーンが中心なので、時間的にも襲撃前後が錯綜して描かれる。この映画を見る前に吉村昭の原作本を読んでおいたのはよかった。
それにしても、この事件の評価は難しい。自分に対抗する勢力を次々と罰した安政の大獄には確かに理不尽な怒りを覚えるが、開国を勝手に決めた井伊直弼は果たして本当に悪かったのだろうか?この事件がなかったら鎖国はそのまま続いたのだろうか?この事件はいわゆる政治的テロリズムだから、テロリストを美化する映画にはしたくなかった、という意味の佐藤純彌監督の言葉が考えさせられる。


そして本を読んだり映画を見たりして思った現在に通じる水戸のこと。

水戸の志士たちは安政の大獄に逆上して井伊直弼を暗殺した。怒りっぽい、理屈っぽい、骨っぽいの水戸っぽ。

本当は薩摩と協力して、まず水戸が江戸で井伊直弼を暗殺し、その後薩摩が京で挙兵して朝廷を守るという手はずだったらしい。でもせっかく先陣を切って井伊直弼を斬ったのに、薩摩は挙兵をやめたそうだ。つまり間が悪い。

その後も、薩摩や長州、土佐は発言力が増して幕末から明治維新にかけて日本の中心人物を排出していくのに対して、水戸はこの事件後は現在に至るまで歴史の表舞台には立たなくなった。なんだかこの事件後に、薩摩に裏切られた思いから世の中の先頭に立つことを断念して、お上の言うことにおとなしく従うことになった感がする。


映画の後、2月に一度見に行ったオープンロケセットを、再び訪れる。オープンロケセットにはその後記念展示館もオープンしており、映画を観た直後に見れば映画のシーンがよみがえるだろうという思いから。

実際の桜田門は一度も見たことがなく、映画の前にオープンセットを見たせいで、映画のシーンも江戸ではなく水戸を思い浮かべてしまったけど、でも映画を見た後でセットを見るとやはり思いが違う。以前よりも映画のシーンの写真や小道具などの展示も増え、観たばかりの映画の記憶もあるため、より臨場感が溢れていた。
記念展示館も結構充実しており、最後には閉館間際で時間が足りなくなるほどだった。


今日明日は、映画公開記念で、半券を提示すると先着50名に非売品解説本をもらえるとのことで、午後4時頃に行ったのでもうもらえないかと思っていたら意外にももらえてしまった。喜ぶべきなのか映画を見た人が少ないと嘆くべきなのか迷う。

解説本は、映画館で買ったパンフレットと比べて、同じサイズで縦横の開き方が違ったり、構成が違ったりというのはあるけど、ほぼ同じ内容のものだった。


写真は、左がパンフレット、右が解説本。

今度、実際の桜田門を見てみたいなあ。