いわき市勿来地区災害ボランティア活動記録 30/4/11

いわき市でのボランティア活動初日。
朝6時30分頃に自家用車で家を出発。
いわき市勿来(なこそ)地区のボランティアセンターは前日までは朝8時30分から受付だったのが、ゴールデンウィークに入り希望者が多かったためこの日から朝8時からの受付に時間が早くなった。自宅から勿来までは1時間ちょっとだろうとは思ったものの、初めてのボランティア参加のために念のために早めに家を出た。


那珂インターから乗った常磐道は応急処置はされているものの、地震の影響で路面の凹凸が激しく、走っているとバウンドするのがわかるくらいだった。

勿来には予想通り7時30分頃にはついたものの、あまり早く着いて待っていてもダメ、ということなので周辺を走って時間調整を行った。

8時過ぎにセンターに戻り、敷地内に駐車する。入場するときにボランティア活動に当たっての注意事項が書かれた紙をもらう。

買ったばかりの長靴を履き、ヘルメットやマスクを用意していると受付開始の列ができたので、その列に並び始める。待っている間にボランティアセンターのスタッフの人が塩飴を配ってくれた。暑くなると塩分補給が大事だということだろう、塩飴を舐めるのなんて久しぶりだ。

受付の後、白いガムテープにカタカナで苗字を書いて左腕に巻く。これがボランティアメンバーであることの目印となる。

受付の後はプレハブ小屋で今日の作業の説明があった。特にこれといったオリエンテーションは無く、最初に配られた紙と受付時に追加でもらった紙がオリエンテーションだった模様。


その紙に書いてあったいくつかのこと。
・災害ボランティアの心構え
 家屋や親族を失った人たちが暮らすまちです。張り切る気持ちが”はしゃいだ対応”にならないように!
 「なんでもやります」ではなく、被災者とボランティアは復興に向けて「一緒に協力する」関係です。

・安全上の注意
 家財の取り出し等では、危険を伴う活動もあります。手に負えない場合は、無理をしないように対応してください。

・余震・津波原発について
 余震・津波原発などについて避難指示の報道があった場合は、ただちに活動を休止し、避難所などの安全な場所まで逃げてください。

原発についての注意事項があるのが福島での活動の特徴だろうか。


プレハブ小屋ではいきなり今日の作業内容の説明と作業者の募集が行われた。ボランティア活動というのは、こちらから押し掛けて作業をするのではなく、あくまでも被災者からの依頼に基づいて人手を出してお手伝いをする、というもののようだ。そしてボランティアセンターというのはそれらの要望を聞いて、作業者を割り当てることを行っている。これを「マッチング」というのだそうだ。初めての体験だけにいろいろと勉強になることばかりだ。

マッチング会場では最初のうちは様子を見ていた。依頼される内容は落ちた瓦の片付け、倒れた塀の片付けといったものが多かった。なんだ、自分の家でやってきたことと同じようなものだなと思いながら聞いていた。数人のグループで作業が割り当てられた人は早速現場に向かっていく。

マッチングが済むとだんだんイスが空いてくるので、その分座席を前の方に移動する。一番前まで移動してきたところで、一気に50人くらいの募集があり、その場にいた全員が同じグループとなった。そしてグループの中からリーダーを選ぶことになった。

スタッフから突然リーダーを決めてください、と言われても全員今日初めて会った人たちばかりなのでなかなか手が挙がらない。誰からも手が挙がらず時間が経っていくのを見てもどかしくなり、思わず手を挙げてしまった。

リーダーとは何をするのかよくわからず、初めてのボランティア活動なのにリーダーになっていいのか、とも思ったが、どうせみんな初対面だし急造リーダーにそれほど高度なことは要求されることはないはず、という気持ちもあった。

実際スタッフの人からリーダーの役割を聞くと、依頼者に対する連絡、休憩時間や作業終了の連絡、何かあった時のセンターとの連絡などが主な役割だった。


人数が多いため、活動場所まではマイクロバス2台で行く。割り当てられた作業は、田んぼに散乱した津波ゴミの撤去。作業時間は10時から12時までと13時から15時半まで。通常の仕事に比べると短めだが、ほとんどの人にとって慣れない仕事なので余裕を持って行うのだ。それに1日で終らなかったとしてもまた別の日に別のボランティアが作業できる。自分だけで、一日だけで終わりになる作業ではないのだ。

最初のうちは何をしていいのかわからず調子がでなかったが、次第に慣れてくる。途中ボランティアセンターのスタッフも様子を見にきてくれる。
休憩時間はおよそ40分に1回くらいの割合で取ることにした。これも間隔が短いように思えるが、疲れたと思う前に休むことが重要かと思い、意識して休憩するようにした。みんなで作業しているときにはみんなで一斉に休まないと、だらだらと作業を続けてしまうのだ。

作業の合間の休憩時間には、依頼者の方からハウスで作ったトマトを頂いた。依頼者の方から地震のときの様子を聞く。3月11日の時は近くの川の堤防が崩れて水が流れてきた。3月の本震の時の揺れは東西方向だったが、4月11日の余震の時は南北方向に揺れて、本震では大丈夫だったものが余震でダメになったものがたくさんあった。

田んぼでのゴミ拾い作業は農作業のようにも思えたが、実際には農作業ではない。潮をかぶってしまった田んぼで米を作れるのだろうか?きっと依頼者の方はそんな思いをしていたのだろう。それでも3時30分頃に作業を終えて僕たちがボランティアセンターに戻るときには、ありがとうございました、とお礼を言ってくれた。こちらも被災した人から直接体験談を聞くことができたのは貴重な体験。


ボランティアセンターに戻ると、リーダーは作業報告書を書いて作業終了。ボランティア活動証明書というものを発行していたので、特に必要はないが記念にもらってきた。

こうして初めての災害ボランティア活動が終了した。

帰りは高速ではなく、6号国道で帰ってきた。途中、北茨城市では海岸沿いを走るのだが、茨城でも津波の痕跡が残っていた。

ボランティアセンターで受付待ちの列。


田んぼで作業中。