天国にぶっ放せ!二万発の鎮魂花火

仙台市郊外の泉ケ岳スキー場を会場に、震災で犠牲になったり行方不明となった人とほぼ同じ数の二万発の花火が打ち上げられた。
スコップ団の団長が避難所で聞いた言葉をきっかけに、天国に向けて花火をあげようと実行委員長となって資金集めに奮闘し、ついに実現した花火大会。

そんな金があったら他にやることがあるんじゃないか、そんな批判もあったようだけど、それはそれ。この花火は、お墓に供える花のようなものと考える。何も合理的なことばかりやればいいというものでもない。そんな思いに賛同して、僕もスコップ団の団員として当日の会場設営と後片付けのお手伝いをしてきた。


僕たちはこの日は「天国にぶっ放せ!」助っ人団。仙台駅東口からバスに乗って約1時間で会場に着いた。バスの中で、団長からのメッセージが書かれた紙が配られる。これまで一緒に苦労を共にした仲間にも花火を見せたい、そんな団長の優しさが記されていた。実際に会うとそういうことはなかなか口にしないのではないかと思うけど、団長のブログやこのメッセージだと本当の思いが伝わってくる。
そして、この花火は浮かれた気分で見るものではない。天国に行ってしまった人に供える花火ということも書かれている。気を引き締めていこう。


スキーをしない僕は冬のスキー場に来たのは初めて。この日のために前日オーバーパンツを買ったり、当日も防寒靴を探したりした。防寒靴は結局いいのが見つからず、いつものスコップ活動で使っている長靴に、インソールと靴用カイロを買い足しただけになった。思えば、17年前の阪神淡路大震災のあった冬に、その頃はクロスカントリースキーを始めてみようかとも思っていたのだけど、震災が起こって遊んでいる場合じゃないと思いスキーはやめた。それ以来スキーには特別興味を持たなくなった。そして今、東日本大震災がきっかけでスキー場に来ている。何の因果だろうか。

この日の泉ケ岳はあいにくの雪。でも、団長の言葉の受け売りだけど、雨でも雪でも雲の上まで打ち上げれば天国では見えるから気にしない。会場設営と言っても実際にはほとんど準備が終わっている。僕たちは足元が緩んだりでこぼこしているようなところをならしたり通路を確保したりという作業を行った。

夕方になって、犠牲者の追悼供養が始まった。僕自身は親戚含めて犠牲になった人はいないけど、友達の友達が犠牲になっていると思い、一緒に供養の列に並んだ。時折読み上げられる参列者からのメッセージが涙を誘う。

花火が打ち上がる時刻が近づくと、招待された人たちがバスから出てきた。招待されたのは自治体を通して申し込んだ人たち。きっと家族を亡くしているんだろう。僕たち助っ人団はあくまでも助っ人なので、後ろの方で花火を見ることにした。

そしてすっかり日が落ちて暗くなった頃、スコップダンプの上に乗った団長のかけ声で一発目の花火が打ち上がった。

鎮魂の花火は、8月11日にもいわき市で見た。あの時も震災のことを思いながら涙を浮かべた。そしてこの花火も同じ気持ちで見た。誰もが無言で空を見上げていた。大きな打ち上げ花火というものは本当に、あの世との会話なのではないだろうかとも思えるほどだった。



普通の花火大会だと、二万発だと2時間くらいかけて打ち上げるそうだけど、冬のスキー場は寒いので、1時間でパーッと打ち上げてしまおう、というのもこれも団長の計らい。


すべての花火が打ち上がり、招待客も帰った後は、スコップ団による片付けが始まった。リフトに乗って山の斜面に登り、飛び散った花火玉のかけらを拾うのだ。最後まで徹底的にきれいにして去っていく、これがスコップ団クオリティ。


帰りのバスが仙台駅東口に着くと、解散。スコップ団としては翌日の片付け作業もあるのだが、僕は戻ることにしたので、これが僕の中でのスコップ団としての活動の最後。もちろんこれからもスコップ団の仲間としてなんらかの活動はあるだろう。でもこれまでのように定期的にみんなが集まるということはなくなる。それがとても寂しく感じる。


ホテルに戻って荷物を置いた後、仙台の夜が名残惜しくなって一人国分町を彷徨った。

宮城の地酒、日高見を飲んだり、スコップ団とも縁のある宮寒梅を飲んだり、ウィスキーだって宮城峡というのがある。

また来るよ、宮城。

この日と前の日の写真はこちらで。

この日の花火の様子は、ほぼ日刊イトイ新聞で動画中継されていた。まだ見られるので、ぜひどうぞ。リンクはこちら