南相馬 福興浜団

郡山を6時過ぎに出発して、約2時間で南相馬市の中心部に着く。福興浜団の集合場所に行く前に、原ノ町駅に寄ってみた。


JR常磐線はこの原ノ町と相馬の間でのみ単独で折り返し運転を行っている。相馬から仙台側は代行バスでなんとか運行しているが、原ノ町からいわき側は完全に運休だ。この原ノ町も地元から仙台方面に行くときに通ったとき、いつか野馬追祭りを見たいなあとずっと思っていたところだった。今こうして車で来ているのがちょっともどかしい。


8時半に集合場所である道の駅南相馬に到着。今日もスコップ団で一緒だった仲間が何人かいる。気持ちが同じ仲間がいるのは本当に力強い。山形から来たというひとの車に同乗させてもらって、最初の活動場所である海岸に移動する。浜団の特徴は海岸での捜索活動だ。リーダーの方は家族を失ってしまいまだ見つかっていないそうだ。だからこうやって毎週毎週海岸で捜索活動をしているのだという。1回の捜索活動は約1時間。海岸には消波ブロックが入り組んでいたり、さまざまな漂流物が打ち上げられていたりして何も見つけられないが、それでも定期的に集団で探していけば何かが見つかるのかもしれない。事実、僕が参加していないときには骨が見つかって警察に引き渡したことが何回かあるそうだ。

捜索活動の後は泥だし片付けのお手伝い。今日は民家ではなくて6号線沿いにある事務所。窓ガラスとかのサッシ屋さんとのことで、床にはびっしり泥がたまっていて、しかもガラスが割れたのがたくさんあった。最初は家族で片付けをしていたのが、あまりの量になかなか片付けが進まず、社協に依頼しても法人からの依頼は受け付けないとのことで途方に暮れていたそう。それが知人の伝手をたよってこうやって福興浜団がやってきたということらしい。依頼された家の奥さんは最初の挨拶の時から「こんなに大勢で来てくれてありがとう」と泣きそうになるので、ちょっとしんみりしてしまうが、聞かなかった振りをして作業に取りかかった。確かに数人で片付けるには大変だろう。しかし30人ほどで一気に片付けを進めることができた。そう、一人じゃできなくたって力を合わせればできないことなんてないんだと思う。

お昼休憩のときにも家の人から話を聞くことができた。去年の3月11日の地震津波の様子そして原発事故からの避難の様子。地元の人の実体験の話を聞くのはとても勉強になる。これも現場に行って目で耳で肌で感じなければわからないことだ。これからも福島に寄り添っていこう。

水素爆発の時はこの写真に見える方向に白い煙が見えたそうだ。


事務所の片付けの後は別のもう一件のお宅に向かう。前回5月に来たときにもお手伝いした家だったが、まだやることが残っていたようだ。朝方降っていた雨もすっかり止んで今度は太陽がカンカンに照っている。今日はいろいろやったので朝してきたことがまるで別の日の出来事のようだ。気温も30度近くまで上がって熱中症になるのではというくらいだった。去年はいわきや牡鹿で暑い中での片付けを行ったが、今年もいつの間にか暑い夏の季節になったのだなあ。そして去年と同じようにまだ片付けなければならない場所が残っているという目の前の現実に頭がくらくらしそうになる。いや、この場所に住んでいた人たちにとってはそれだけでは済まないことなのだろう。そんな人たちのためにまた手伝いに来たい。

夕方になって作業終了となったが、夏の日は長い。まだ明るさが残るうちに南相馬を後にした。


道の駅南相馬に貼られている言葉。地元の人からこう言われるとじんとくる。



南相馬からの帰り道、飯舘村に沈む夕日が美しい。