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遺体

映画

東日本大震災から2回目の3月11日。
去年はいわき市で過ごしたが、今年は地元で静かに過ごそうと思った。
月曜日だったが落ち着いて仕事をする自信がなかったので会社は休みにした。

午後2時46分は海岸に行こうと思い、その前に震災を描いた映画「遺体」を見てくる。2011年10月に見た「がんばっぺフラガール!」以来の映画館で見る映画はやはり震災がらみの映画。
原作本自体はだいぶ前に知っていたが、辛いことが書かれているのだろうと思って避けて通っていた。しかし、いつかは現実と向かい合わなくてはと映画の公開を前に本を読んでいた。そこに書かれていたのは、僕が経験した災害救援ボランティアとは桁違いに非現実的な状況だった。一番印象に残ったのは、市の職員が遺体安置所の管理を任されたところ。この本に取り上げられた人たちのうち、葬儀社の元社員や医者ならば遺体を目の前にしても慣れることができるだろうが、市の職員たちにとっては、それまでは単なる事務職だったりしたのに、突然割り当てられた職務に戸惑ってどうしたらいいかわからなかっただろう。

文章では再現できた状況も、映像となるとどうなるのか。大きな不安を覚えながら映画館の席に座る。やはり震災前の日常風景から始まったが、突然の地震の後は一変して別世界になった。登場人物たちは地震の直後は何が起こったのかがわからず、海側の街の方から次々と運ばれてくる遺体に呆然となる様子がリアルに描かれていた。たびたび起こる余震のシーンも、あの頃を思い起こすものだった。この余震のシーンでは音響が重低音で響いたのか、映画館の座席も揺れているように感じて胸騒ぎがしてしまった。その後もあちこちからすすり泣きが聞こえてくる。つらい映画だ。

しかしながら、主人公の遺体に対する接し方に市の職員が心を動かされたのと同じように、映画を見ている方も緊張がほどけていくように感じた。そうでなければわざわざこんな辛い映画を作る意味が無い。

映画の後は近くの阿字ヶ浦配水場へ。ここは震災後に市のボランティアで給水活動を行った場所だ。それ以来初めてきてみた。給水活動中に空から大きな音がして見上げると北の福島方面に向かうヘリの姿が見えたりするのが印象深かった。

それから阿字ヶ浦海水浴場へ。ここで一人静かにその時を迎え、海に向かって黙祷した。

夜は家に帰り、テレビをつけながら音声は消して、ラジオの茨城放送を聞いていた。あの時頼りになったのは地元のラジオ放送局だった。そして2011年3月以降の自分自身の記録を振り返った。

2年前の夜は余震が怖くて、服を着たまま、靴をベッドの横に置いて寝たけど、家の中で寝られたことを幸せに思わなくてはならない。今日はいろいろ考えたり思い出したりして疲れた。今日の仕事を休みにしてよかった。