気仙沼、南三陸

昨晩は遅くまで飲んだので朝は予定より遅れてホテルを出発しました。今日の予定は、宮城県北部沿岸部をこの目で見てくることです。気仙沼市の市街地に津波で流されてしまった漁船が、いよいよ明日から解体工事が始まるということで、その前に目に焼き付けることにしたのです。

宮城県には何度も来ていますが、これまで来たのは県南の山元町から名取、仙台、東松島石巻まで。それより北部はまだ一度も来たことがありませんでした。

気仙沼に行くのには東北道一関インターを経由しました。気仙沼宮城県ですが、一度岩手県に入り、そこから東に進むのです。震災直後、ずたずたに分断された沿岸部を救出するのに、まずは内陸の東北道を復旧させ、次に東北道から東に向かう道路を何本も復旧させることで支援ルートを確保した「くしの歯」作戦の舞台の一つです。(「くしの歯」作戦についてはこちら


仙台から約3時間、最初に気仙沼市中みなと町の漁船のある現場に向かいました。そこはJR大船渡線鹿折唐桑駅の駅前でもあります。周辺はすでに基礎だけになった家の跡が広がっていますが、この漁船、第十八共徳丸だけがこつ然と陸の上に鎮座していました。まずは慰霊台に手を合わせて、船の周りを一回りしました。この第十八共徳丸はいわき市の会社が所有する船なのでした。東日本大震災のシンボル的遺構ですが、地元の人の間でも残すか解体するかいろいろな意見があったと聞きます。船の下には押しつぶされた自動車も見えました。震災の悲惨さや教訓のために残すべき、という意見も理解できますし、こんなものを毎日見せられたら辛い日々を思い出すからいやだ、という意見も理解できます。しかし部外者がいうことはないと思います。

次に訪れたのは復興商店街の南町紫市場。ちょうどお昼になったので何かを食べましょう。駐車場に車を止めたのですが、気仙沼の港近くはこちらも一面空き地だらけに見えます。しかし本当は家があり商店街があったのでしょう。だから復興商店街は街に複数ありました。どこに行こうか迷うくらいでした。当初の予定では、南三陸でお昼にしようかなと思っていたのですが、朝出るのが遅かったため気仙沼でお昼です。気仙沼だって新鮮な魚が名物です。せっかくなのでお寿司屋さんに入りました。頼んだのは気仙沼名物ふかひれ入りの復興スペシャルという握り寿司です。ちょっと値段が張りますが、気仙沼に来ることはそうないかもしれません、ここまで来て名物を食べないのももったいないということで食べてみました。気仙沼には地酒もあります。今度は夜に訪れたいものです。

お昼の後は沿岸部を南下して、南三陸町に向かいます。沿岸部にはJRの線路が見えますが、ところどころ舗装された道路になっています。今はBRTシステムのバスが走る専用道になっているのでした。海沿いの橋梁が壊れているところもあります。線路が復旧することはあるのでしょうか?なんだか悲しい気持ちになってしまいました。


三陸の元の市街地に入ったようです。ここで訪れるのは、南三陸町の防災対策庁舎です。防災対策庁舎と名がついていますが、津波に襲われて今は骨組みだけになっています。ここでもまずは手を合わせます。地震が起こった後この庁舎に残り、津波が来ることを無線で知らせた職員が犠牲になったところです。もう何も言えません。

これまでに見てきたことがある福島県宮城県南部の沿岸部も津波の被害がありました。被害の大小を比べても意味がありませんが、これまでの場所と違うのは、町の中心部が被害にあったということです。町が消えた、という表現を聞きましたが、本当にそうだったようです。今はただ静かに広がっている土地ですが、生まれ育った町がなくなる、昨日まで、いやお昼を食べるまで普通に存在していた町が突然なくなるという現実をその場で見た人は相当なダメージを受けただろうなということだけは想像できました。

言葉を失いながら次に向かったのは、こちらも復興商店街である、南三陸さんさん商店街です。JR東日本吉永小百合のポスターでもおなじみです。本当はこの商店街の名物料理、キラキラ丼をお昼に食べようと思っていたのですが、時間が遅くなってしまったので予定が変わりました。今日はこの商店街でイベントが行われているようです。それを横目に見ながらいくつかのお店を回ってお土産に飴やかまぼこなどを買いました。

お店の人と何か話しでもすればよかったのでしょうが、先ほどまで見た気仙沼の船や南三陸の防災庁舎の強烈な印象が残り、話しかける余裕がなくなってしまいました。

ということで、夕方ちかくになってしまったので南三陸を後にしました。帰り道は登米市から三陸道を通り、仙台を経由して東北道、磐越道、常磐道とひた走り、夜9時ごろに帰宅しました。

この2日間の写真はfacebookのアルバムで。