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釜石〜大船渡〜陸前高田

今回の旅行はほとんどが個人で訪れるところばかりですが、今日だけは事前に申し込んでおいたイベントに参加します。


この日は三陸鉄道でレイルトレッキングという催しがあるので、それに参加するため車をホテルの駐車場に停めさせてもらい、朝に釜石駅に集合しました。
まずはバスで唐丹駅に向かいます。三陸鉄道南リアス線は吉浜と釜石の間がまだ開通していませんが、4月には全線再開するためそのプレイベントとしての企画です。震災時に唐丹と吉浜の間にあるトンネルの中で列車が停止し乗客は歩いて避難したことや、津波が引いた後は瓦礫が散乱して道路が使えなかったことから三陸鉄道の線路の上を歩いたことを思い、「あの時歩いたトンネルの向こうへ」と名付けて運行再開を祝うものです。それにNHKの「あまちゃん」でもそのシーンが再現されていたことから、その気持ちを感じたいと思い参加することにしました。

途中の橋梁やトンネルの入り口では三陸鉄道の社員の熊谷さんと吉田さんから被害の様子や復旧作業の様子を写真を交えながら説明を聞きました。

吉田さんは地震発生時にトンネルを走行していた列車に対して「止まれー」と無線で指示された方だそうです。そのことはやはり三陸鉄道の社員である冨手淳さんの書かれた「線路はつながった」という本にも記されていました。ちなみに「あまちゃん」でもそのエピソードを思わせるシーンが描かれていましたが、ドラマの中でも無線で指示していたのは荒川良々さん演じる吉田副駅長でしたので、そのことを三陸鉄道の吉田さんに話してみたところ、副駅長のモデルではないですが、と否定されてました。
なお、三陸鉄道は全線開通に向けて明日から試運転を行うそうで、その意味でもこんな風に線路の上を歩けるのは最後の機会かもしれません。


イベント終了後は再びバスで釜石に戻り、車で大船渡市に移動して、三陸鉄道盛駅に立ち寄りました。この日三陸鉄道ではもう一つイベントが企画されていて、震災学習列車というのが北リアス線南リアス線それぞれで運行されることになっていました。午前のレイルトレッキングの方は事前に申し込んでいたのですが、こちらのイベントは時間的に参加できるか不明だったので申し込んでいませんでした。しかし盛駅についてみたらちょうど受付が始まった頃だったので、社員の方に飛び入り参加できるかどうか聞いてみたところOKとのことでしたので車を駅前に停めて急遽参加してきました。この列車は盛から吉浜まで往復する貸し切り列車で、午前のイベントでも説明してくれた三陸鉄道の熊谷さんが引き続き説明を担当してくれて、車内から改めて南リアス線と沿線の被災の様子の説明を聞きました。ちなみにこの時乗車した列車も、クエートからの支援を元に新製した車両でした。

午後2時46分には三陸駅で停車して、参加者全員で海に向かって黙祷を捧げました。午前のイベントもこの午後のイベントも両方ともマスコミ各社も参加していて、帰りの列車の中では僕も岩手朝日テレビからインタビューを受けました。

盛駅に戻った後は再び車で南下を続けます。途中で社内SNSでお勧めの情報をもらっていた碁石海岸に立ち寄りました。岬からの眺めはとてもきれいでした。名前の由来となった碁石浜にも行ってみましたが、確かに砂浜ではなく石の浜でした。


この日の宿は陸前高田です。もともとは海辺にあったのを高台に移転して再オープンしたキャピタルホテル1000に泊まりました。しかし衝撃的だったのはホテルの周りが本当に何もなく、周りは宅地の嵩上げ工事や道路工事のための土砂を運ぶダンプカーがひっきりなしに通り、土ぼこりが舞う荒涼とした景色でした。しかも夜になると街灯も家の明かりもないので真っ暗になってしまいました。夕食を食べるにしてもホテルでは食事無しで、お酒を飲みたいので車で移動するにも行かず、タクシーで移動しなければなりませんでした。

夕食に行こうと考えていたのは仮設の希望商店街にある鶴亀鮨でしたが、タクシーの運転手に行くお店は決まっているのか、と聞かれて鶴亀鮨の名前を挙げると、携帯電話で開いているか確認してくれました。ところが残念ながらこの日はお休みとのことでした。実はこの運転手さんは鶴亀鮨の息子さんと同級生とのことでした。そこで同じ商店街にある別のお店に入りましたが、そこは定食屋さんみたいな雰囲気だったのでビールを一杯と定食だけで切り上げました。その後別の居酒屋を覗いてみたところ満席だったので、まだ時間も早いことだしホテルの方向に向かって歩き始めました。しかし他に居酒屋はなく、残念ながらこの日は地酒を飲むことができませんでした。ホテルの近くには先ほども書いたようにお店どころか建物もなく、暗闇の中を30分以上かけて歩いたことで、陸前高田には本当に何もなくなってしまったことを実感した夜でした。

しかしそんな中でもなんとか灯りを灯そうというイベントが開催されていたのが救いです。