水戸まちなかゼミ&まちカル「深作欣二を語るパート13 深作を育てた東映の歴史1」「水戸と映画~昭和の水戸の映画館を語る2~」

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水戸商工会議所などが主催する、まちなかの個店の店主などが講師となってセミナーなどを開く教室の一つとして、映画の話があったので聞いてきました。講師は映画のイベントなどで何度もお世話になっている310+1シネマプロジェクトの谷田部さんと寺門さんです。
今日は2つの講座があって、最初が「深作欣二を語るパート13 深作を育てた東映の歴史1」、2つ目が「水戸と映画~昭和の水戸の映画館を語る2~」でした。
 
東映の方は、谷田部さんが講師で、まずは今年亡くなった佐藤純彌監督・坂上順プロデューサーを偲ぶ会の話から始まりました。佐藤純彌監督は、水戸でオープンセットを作った「桜田門外ノ変」の監督で水戸にゆかりがあります。
その後の本題は、水戸出身の深作欣二監督の話が中心かと思いきや、東映という映画会社が発足する頃の話から始まりました。映画会社としては後発となる東映は、3つの会社が合併してできた会社だそうです。
ちょうど今NHK連続テレビ小説にも出てくる「東洋動画」のモデルとなっているのも東映のアニメーション制作会社である東映動画のことも話題に上がりました。
谷田部さんの話し方がうまいのか、東映という会社そのものが面白いのか、深作監督が東映に入社する頃の話まできたところで時間切れとなってしまいました。続きはまた次の機会に、だそうです。
 
続いての水戸の映画館の方は、今度はぐっと地元の話題になります。寺門さんが司会となり、ゲストに水戸にかつてあった映画館「オデオン座」スタッフの伊藤和充さんと、「リードシネマ」スタッフの沼田哲也さんを迎えてのトークでした。オデオン座の方は僕の記憶にはないのですが、銀杏坂から宮下銀座を通り抜けたところに新水戸会館というビルがあり、そこの1階にあった映画館だそうです。その新水戸会館自体も記憶にありませんが、オデオン座も1984年8月31日に閉館したそうです。僕が映画をよく見るようになったのは1986年の頃だったのでその時にはすでに無くなっていたようです。
 
オデオン座は後にスカイシネマやパンテオンなども経営し、スカイシネマはその後コートワンシネマ、リードシネマに変遷していきます。これらの映画館になると僕も実際に行ってみたことがあります。
 
今日は主にフィルムマラソンの話から始まりました。1978年に始まったフィルムマラソンとは、映画ファンが集まって作った水戸映評会が市内の映画館を借りてオールナイトで映画を上映する会です。フィルムマラソンも僕は参加したことがありませんが、このフィルムマラソンが後に水戸映画祭につながり、僕はその水戸映画祭を観た記憶があります。自分でつけていた記録によると、1986年の第1回水戸映画祭では深作欣二監督の「蒲田行進曲」も上映され、深作監督の講演もあったようです。
 
水戸映評会が発行していたフリーペーカーである「シネポート」は僕も何度か投稿を載せてもらったことがあります。会場にはその「シネポート」もあり、高校時代に僕の投稿したのも発見しました。

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他にも当時のチラシやチケットなども見せてもらい、なんだか懐かしい気分になりました。

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