イギリスへの道 -- Fly As A Bird --

この文章は1996年3月に、僕がイギリスに初めて行く前に書いたものを、2017年7月2日に再掲した記事です。どのような出来事を経て僕がイギリスに行くことになったかが分かるかと思います。この年の5月にちゃんとイギリスに行くことができ、以来ますますイギリスの魅力に取りつかれ、なんとかして住みたいなあと夢見ているのですが、まだイギリスに行けるかどうかも分からなかったころの思いは今となっては再現できない貴重なものですので、紹介したいと思います。しばらくおつきあいください。
 

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 イギリスには、ずっと前から行きたいと思っていた。
 
 しかしそれは単なる憧れに過ぎず、とても自分がイギリスに行けるとは思っていなかった。中学生の頃ビートルズを好きになり、ちょうどその頃、学校の地理の授業で先生が世界地図を広げ、「みんなは、どこに行きたい?」と聞いたときビートルズの国イギリスが僕の頭の中のイメージにあった。でもそれも頭の中で単に想像しただけだ。欲しいものもなかなか買ってもらえず、こづかいも少なかった僕にとって、イギリス行はとても現実性のないものだった。
 
 僕は旅が好きだ。小学生、中学生の頃はもっぱら時刻表を見ては空想旅行を楽しんでいた。家を何時に出て、この駅には何時に着くからここで何時何分発の何線に乗り換えてという風に。いつかは日本中を旅するのだと思っていた。高校生になると、実際に旅をするようになった。もちろん金がないので、鈍行列車専門だ。関東地方、東北地方、中部地方とだんだん足を延ばし、大学生になると九州、北海道、四国と着実に足を延ばしていった。しかし、まだ日本国内しか眼中になかった。「わざわざ外国にまで行かなくても、日本にはまだまだ僕の行ったことのない素晴しいところがある」「日本のことを知らずに、外国に行けるか」こう思っていた。この間も僕のビートルズ熱は衰えることはなかったが、まだイギリス行とは結び付いていない。
 
 ここ数年、毎年夏になると北海道に行っている。きっかけは大学2年の時のクラブの合宿旅行だった。北海道はこのときが初めてではなかったが、前回は函館周辺しか行っていないので、実質的にはこのときが初めてといっていいだろう。北海道内のJRの列車に乗り放題の切符を持って北海道を一周した。一周といっても列車で行けるところの話だが。僕はこの旅を通じて、北海道は旅人の天国だと思った。なぜなら、食べ物はおいしいし、寝袋を持っていればただ同然のお金で一夜を過ごすことができるのだから。主にバイク旅行者向けに、空き家などを開放して無料もしくは数百円の料金で泊めてくれるのだ。ライダーハウスなどという名前がついているが、別にライダーでなくても泊まることができる。JRでも空いている客車を使って駅の中でライダーハウスとしていた。鉄道旅行者である僕も利用させてもらった。
 
 列車の窓からみる風景もだいぶ違って見えた。それはとても開放的だった。大陸的だという人もいる。日本でありながら外国のような雰囲気だ。そしてそこに住む人も同じく開放的だった。
 
 この旅で、無人駅に泊まることも覚えた。そして、無人駅に泊まる旅人の集まりであるSTB全国友の会という会に入った。ある雑誌に載っていた記事をみて入会したのだが、この会は京都に住む高校の先生が主宰しているという。時々会報が送られ、全国各地(主に北海道が多いが)の駅の様子が、ここは泊まるのによいとか、椅子の形がちょうどよいとか、近所の人にお世話になったとかいう情報が載っていた。STBとはSTation Bivouacのことで、「ステビー」と読む。登山中に止むを得ず仮眠することをビヴァークというが、それを普通の旅に応用して旅の途中に駅に泊まることだ。もちろん駅は宿泊施設ではないので、泊まるというよりは一夜の屋根と囲いを借りるという謙虚な気持ちだ。駅員のいるような駅は夜になると待合室に鍵を掛けてしまうが、無人駅の場合はそれがないので泊めさせてもらうこととする。最終列車が出るまでは決して寝ない、始発列車が来るまでは退散する、他人に迷惑をかけないことがSTBistのモットーだ。
 
 STBの会では集会と称して、毎年夏に北海道で宴会を行っている。大学3年の夏、この年のクラブの合宿は四国だったのだが、北海道に魅せられた僕は、北海道の集会と四国の合宿と両方に参加した。北海道の集会では、いろいろな旅人と友達になった。もともとは旅の好きな京都の先生とその教え子たちの会だったようだ。その先生は、簡易印刷機を所有しており、自費出版なども行っている。「STBのすすめ」という本も出しているのだ。そんなこんなの縁で、関西方面の友人もできた。
 
 大学4年の夏、この年僕はサイクリング車を購入し、自転車で北海道を旅した。前の年、列車の窓からみたサイクリストはとても気持ちよさそうだった。以前に比べると鉄道路線の少なくなった北海道では列車での旅は制約が多く、他の乗り物に乗るのにいちいちお金を支払うのがわずらわしく思えてきた。バイクや自動車は、空気を汚すので好きではない。かといって徒歩旅行では、行動範囲が狭くなってしまう。地球環境保護に目覚めたぼくにとって自転車こそが理想的な移動手段となった。とはいっても、家から北海道までは列車で行き、北海道内でも列車と自転車を組み合わせて旅をした。もちろんSTBの集会にも参加した。イギリスはまだ遠い。
 
 
 大学を卒業した僕は、地元の企業に就職した。夏休みがある程度あったので、就職1年目もまた北海道に行った。就職してからの旅は、学生時代とは少し変わった。限られた日程と給料収入により、「金はないが暇はある」から「金はあるが暇はない」になった。順番が逆ならいいのに。この年もまた列車と自転車の組み合わせだ。それから次の年の2月、札幌のゆきまつりを見るために今度はフェリーで北海道に行った。行きは大洗から室蘭、帰りは苫小牧から仙台のフェリーだった。本当は往復とも大洗・苫小牧の便がよかったのだが、予約が取れなかったので仕方がない。しかしその帰り道で、初めてイギリス人と話したのだから偶然は面白い。仙台から家までは、常磐線に乗って帰るわけだが、急ぐこともなかったので鈍行列車に乗った。ところがその日はとても強い風が吹いていて、途中の駅で列車の運転が打ち切られ、乗客は全員乗り換えなくてはならなくなった。もちろん車内放送があったが、同じ車内に外国人女性の2人組がいて気付いていないようだったので「ここで乗り換えなくてはいけないですよ」と教えてあげた。短い間のコミュニケーションで、彼女は福島県の学校で英語の授業の補助をするために2年間くらい日本に来ていて、イギリスはストーンヘンジのあるところから来たということだった。
 
 次の夏も、北海道に行きたかったのだが、この年は大阪出張が忙しくとても北海道に行ける状態ではなかった。それでも短い休みがあったので、大阪から家に帰らずに北陸と京都を旅した。富山に大学時代の友人が住んでおり、久しぶりに逢うことにして、福井の東尋坊三方湖永平寺などに行った。さてそのあとの京都である。友人の都合で、永平寺のそばで2泊したあとは1人旅となった。ちょうど京都では大文字の送り火があるというので福井から大阪に向かう「ついで」に京都に行くことにした。
 
 京都に2泊するつもりだったが、予約できたのは1日目のユースホステルだけだった。福井から電話した段階では2泊目は空いてないと言われていた。それでも行けば何とかなるだろうと、ユースホステルに行って、受け付けで手続きをしながら次の日の予約をもう一度聞いてみたら今度は大丈夫といわれたので、ラッキーと思いながらさっそく予約した。指定された部屋にはいると、すでに2人組がいたので、「こんにちは」と挨拶しながら荷物を置いた。ところがこの2人、日本人のような顔をしていたが英語で話しかけてきたので驚いた。実はアメリカ人だった。1人は日系、もう1人もアジア系のアメリカ人、アレックスとスコットという名前だった。
 
 その日は昼間はよく晴れていたのだが、夕方からいきなり強い雨が降り出した。大文字送り火をやるのかどうかわからなかったが、ユースホステルの宿泊者のうち、希望者がバスで市内に送り火がよく見えるという場所に行った。もちろん僕はこれに参加した。雨は相変わらずひどく降っていたが、予定通り送り火は行われた。特に一緒に行ったわけではなかったが、そこにアレックスとスコットもいたので、彼等と一緒に写真をとった。僕はカメラを持たないので、彼等のカメラだ。ユースホステルに戻って、同じ部屋だから当然話をした。
「カツミ、明日は何をするんだ」
「もし晴れたら自転車を借りて、寺を観る」
 
 次の日の朝、天気はあまり良くなかった。雨は降っていなかったが、今にも降りそうだった。もう一度アレックスたちが聞いてきた。
「今日は何をするんだ」
「天気があまり良くないから自転車は止めて歩いて寺を観る」
「僕たちも一緒に行っていいか?」
 彼等は当然目的があって日本に来ているのだから行きたいところも決めてあるんだろうなと思っていたから、一緒に行くことになるとは思っていなかった。しかし僕も別に1人でも3人でもよかったので一緒に行くことにした。さて、出発するというときになって、2人が何やら話している。もう1人一緒に行っていいかと言う。一緒に旅をしているわけではないが、1人で旅をしているこれまたアジア系の顔をした、しかしオーストラリアからやって来たグロリアという名の女の子だ。彼女は、母親が日本人だという。断わる理由などない。こうして国籍の違う4人が京都見物に出かけた。アレックスとスコットは、サンディエゴの大学の友達で、卒業前に日本を旅行しているのだそうだ。スコットの方は日本名を持っている。鹿児島に親戚がいるので、東京からだんだん西に向かって旅をしている。
 
 僕たちはまず、仁和寺に行った。ここでも写真を何枚か撮った。ここは桜が有名だが、もちろん夏には花は咲いていない。次に竜安寺枯山水の庭が有名だ。これはぜひ観たかった。縁側に座ってしばし瞑想に更ける。はたして彼等にわかるだろうか?まあいいや。
 
 竜安寺で、とんぼが飛んでいた。
「これはdragonflyというんだ。日本語ではなんて言うの?」
「とんぼだ。そうかdragonflyか、竜安寺の『りょう』という字はdragonだ、ははは」
 
 次は金閣寺。スコットが日本に来る前からずっと行きたがっていた所だという。僕はこういうきんきらしたところは好きではないが、中学生のときに修学旅行で訪れて以来の場所だ。確か、数年前に金箔を貼り直したとかいっていた。この辺でお昼になり、何かを食べようということになったが、さて、何を食べようか。スコットがあそこはどうだと指を差すところは、何やら高そうな料亭風である。
 
「ああいうところは日本料理を出すが、とても高そうだ」と言って、代わりに入ったのがラーメンの「天下一品」。大阪出張中にもよく食べに行った店だった。こういうのが普通の食事なんだよ。
「焼飯はないのか?」というので(実際にはご飯をフライパンで炒めたものとかなんとか言ったのでたぶんチャーハンのことだろう)メニューを探したが、なさそうだったので、チャーシューメンか何かを頼んだ。
 
 次はどこに行こうか。僕の行きたいところはもう行った。
「京都駅に行こう」
とアメリカ人が言う。何をするのかと思ったら、鹿児島までの特急券を買うのにつきあって欲しいとのことだった。京都の次は広島に行って、それから博多に寄って、鹿児島まで、乗車券のほうは外国人専用の日本全国のJRに乗ることのできる切符を持っているので、指定券を買うのを手伝ってあげる。新幹線はそのまま「シンカンセン」と言っている。グロリアのほうも、東京までの切符を買うというので、こっちも手伝う。グロリアは、これから1年間くらい東京に住み、その前にちょっとだけ観光をしているところなのだそうだ。アレックスは、親切にしてくれたからと、アメリカ製のパーカーのボールペンを僕にくれた。ありがとう。
 
 さて、3人分の切符を買ってもまだ時間があった。今度はどこに行こうか。そうだ、映画村に行こう。時代劇のセットがあるから面白いだろう。スコットたちは、「七人の侍」は知っているという。映画村も気に入ってくれたようだ。新選組の「のれん」をお土産に買っていた。部屋に貼るのだそうだ。
 
 ユースホステルに戻り、夕食を食べたあと、また4人は集会室に集まり、トランプなどをして遊んだ。トランプなんかはしばらくやっていなかったし、スコットかアレックスの説明するのを聞いても初めのうちはよくわからなかったが、やっているうちに日本で言う大貧民であるということがわかった。ほかにも何種類かのトランプゲームをした。ちなみに今までの4人の会話はすべて英語で行われている。集会室のほかのグループの人は、僕のことを日本人じゃないと思っていたそうだ。みんなアジア系の顔をした不思議なグループと思っていたのだろう。そのうちに別のグループにいた日本人の女の子も仲間に入り、楽しい夜は更けていった。
 
 次の日の朝、僕は大阪へ、アレックスたちは広島へ、グロリアはそのまま京都にと別れた。ついでに行ったにしては、得たものの多い旅だった。この日々をきっかけに急速に外国に行きたいと思うようになった。アメリカ人のアレックスとスコットが、彼等からみて外国人であるオーストラリア人のグロリアと同じ言葉でコミュニケーションができるというのは何ともうらやましかった。僕も英語をもっと勉強しよう、外国人と友達になろうと思った。外国に行くのならどこに行こうか。アレックスの住むロサンジェルス、スコットの住むサンディエゴに行くというのもいいな。でもどうせ外国に行くならビートルズの国イギリスだ。
 
 やっとイギリスに行く決心をするところまできた。
 
 彼等と別れたあと、僕は大阪で仕事をして、何日か後に茨城に戻るのだが、帰りの新幹線で京都を通り過ぎるとき、数日前の楽しかったひとときを思い出した。グロリアは東京に行くといっていたな。僕が買ってあげた新幹線の切符はいつの日にちだったかな。また逢えたらいいなと思いながら東京に向かった。東京駅に着いて、山手線に乗り換えようとするとき、信じられないことが起こった。駅の構内放送が「グロリア様、お連れの方が新幹線のホームでお待ちです」というのが聞こえたのだ。僕はすぐさま新幹線のホームに戻ったが、グロリアを見つけることはできなかった。すると今度は、「・・・様、グロリア様が新幹線のホームでお待ちです」とさっきとは逆の放送があった。今度こそ本物だ、指定の場所にいくと、そこにはグロリアがいて劇的な再会を果たしたのだ。待ち合わせをしていたのは彼女のいとこで埼玉に住む日本人だった。グロリアは、とりあえず2、3日は代々木のユースホステルに泊まるが、その間に日本での住む場所を探すのだという。東京駅で3人はとりあえずお茶をのみ、簡単にこれまでのいきさつを話した。彼女はさっそく今から新宿に行き外国人向けの部屋探し斡旋業者のところに行くというので、成り行き上僕もついて行くことにした。その日、僕は夜勤明けで新幹線に乗ったので、だいぶ眠かった。新宿まではついて行ったが、そこで話を聞いたあと僕は帰ることにした。その後、グロリアからは何の連絡もないのだが、うまくいったのだろうか。
 
 ともかく、偶然の出来事が続いた京都の夏だった。行きたかった北海道が駄目で福井に行き、その帰り道についでに京都に寄り、1泊しかできないと思っていたところが2泊でき、たまたま同じ部屋になったのがアメリカ人の2人組で、2泊できたおかげで2晩目の夜は楽しく過ごせて、しかも東京でまた思いがけず再会するということがあったのだ。これらのうちのどれか一つが「予定通り」に行っていたらこんな楽しい経験はなかった。アレックスやスコットからはその後、京都で一緒に撮った写真を送ってもらったり、クリスマスや新年のカードを送ったりしている。
 
 イギリスに行くという目標はできたが、実のところどうやって行こうかと思った。外国はおろか国内でさえも飛行機に乗ったことがなかった。国内旅行で貧乏旅行に慣れているからイギリスに行ったら何とかやれる自信はあるのだが、その前にどうやってイギリスに行くのかというのが大問題だ。パスポートもまだ持っていなかった。噂によると、もうすぐパスポートの有効期限が改正になり、10年間有効になるらしい。じゃあそれまで待とうか。
 
 という訳で、次の年の夏は再び北海道に行った。
 
 秋には、関西出張の帰りに大阪空港や出来たばかりの関西空港から羽田まで、2度飛行機に乗った。
 
 その次の年、1995年のことだが、今年はイギリスに行こうかと思ったが、春になってその年の会社の年間のカレンダーを見たら、夏休みが1週間ずつ2回に別れていた。イギリスに行くのに1週間の休みでは足りない。どうしようか迷った。夏の北海道でまたSTBの集会も予定されている。今年は道東の霧多布湿原のある浜中町のJR浜中駅で駅コンをやるのだという。仲間内でギターの弾ける僕は有力メンバーとして期待されていた。集会を企画するSTB全国友の会の会長はブルースが好きだというが、僕はビートルズしか弾けない。そしたらビートルズでいいからと会長は言う。イギリスに行くか北海道に行くか、だいぶ迷った。北海道も楽しい。前の年に北海道のキャンプ場で知り合った知床は羅臼の家族にも逢いに行きたい。大学時代の友人が釧路出身で、友人本人は今は横浜に住んでいるのだが、釧路の家にも以前おじゃましたことがあり、友人の家族にもまた逢ってみたい。もちろんSTBの仲間にも再会できる。結局北海道に行くことにした。旅を続けていると、何かを見に行くというよりも、誰かに逢いに行くということが多くなっていく。
 
 STB集会で、ギターを弾く僕と、初めて逢うピアノ弾きとが中心となり、ビートルズの曲を演奏した。バンド名はその名もThe STBeatles。練習は前の日と当日だけだったが、集会には30人くらいの人が集まり、みんなで寒い北海道の夏の夜、狭い駅の中で熱く歌いあったのだった。
 
 
 1995年11月、ビートルズの新曲が出た。こんなことがあるなんて誰が想像できただろうか。1970年以降ビートルズの4人が揃うことはなかった。そしてジョン・レノンが1980年にこの世からいなくなってからはビートルズの再結成なんかできない相談だった。ビートルズはジョン、ポール、ジョージ、リンゴの4人がそろっていなければ意味のないものだ。だから3人が集まってもそれは再結成ではない。ところが1995年に、僕たちはビートルズの新曲を聴くことができたのだ。昔ビートルズが録音したものではない。ジョンが残した自作の歌のテープに他の3人が新たに楽器やコーラスを加えて、ビートルズとして発表したのだ。これは再結成ではないけれど、CDのクレジットでは本人たちがビートルズといっているのだ。文句あっかという感じで誰が何と言おうと僕は喜んだ。新曲のタイトルは「Free As A Bird」。鳥のように自由に空を飛ぶ、これだこれだ、1996年の誓いはこれだ。ビートルズが僕を呼んでいる。たとえ飛行機に乗ったことがなくても、鳥のように自由に空を飛べるんだよ。さあ、イギリスにおいでよ。僕にはそう感じられた。空を自由に飛ぶ鳥のように。
 
 1996年、僕はイギリスに行くためのFly As A Bird計画を開始した。貧乏旅行に慣れているし、団体で行くパックツアーは大嫌いだから、飛行機のチケットだけ手配してもらって、あとは自分で宿を探そうと思う。そして最大の課題はどうやってイギリスに行くかということだ。飛行機のチケットの買い方からしてよくわからない。なぜ値段が何種類もあるのだろうか。まさに飛び方がこの計画のネックだ。
 
 年賀状にはもちろんFly As A Birdと書いた。ビートルズの新曲のタイトルはFree As A Birdだから、ビートルズの好きなあいつはそれをひねったのだろうなという風に受け取られるだろう。でももっと深い意味があるのだよ。ちなみにFly As A Birdというフレーズはこの曲の歌詞の中にも登場するので、まったく僕のオリジナルではない。
 
 正月休みのあいだにパスポートの申請をする。有効期限は10年になっている。もう待つ必要はないのだ。イギリスに行く目的は当然ビートルズだし、国内旅行の経験からいわゆる名所旧跡は人が多いだけでうんざりするので一般的なガイドブックなど必要ない。The Beatles Londonというちょっぴりカルトなガイドブックがあるのだ。ロンドンにあるビートルズゆかりの場所を詳細な地図付きで記述してある。頼りになるのは自分の目と耳と脚だ。他人のいうことではなく自分だけのイギリスをこの目で、耳で、脚で感じたい。
 
 いまのところイギリスに行くのは4月下旬から5月の連休にかけてと考えているが、3月17日現在、チケットも何も全然用意されていない。このFly As A Bird計画は今年中に達成できればいいと思っているから、この時期に行けなくてもまあいいだろう。なんとかなるさ。あの京都の夏のことがあるから、たとえうまく行かなくてもそれはそれでいいのかもしれないから。
 
 もし、予定通りイギリスに行くことができたなら、そのときはまた皆さんに報告したいと思います。
 
 
という訳で、この文章を書いた時点では本当にイギリスに行けるのかわからなかったのですが、結局無事に1996年5月にイギリスに行くことが出来、以来イギリスは忘れられない場所になりました。