松山

ANAのたまったマイルの期限が切れそうになるので、まだ一度も行ったことのない松山に行ってきた。
先週は倉敷に行ったばかりでまた旅行に行くのはバランスが悪いけど、先週の旅行が予定外だったので仕方がない。
羽田発12時15分のANA589便は13時40分に松山空港に着く。せっかく松山に行くのだから何かゆかりの本でも読もうと思って持ってきたのが夏目漱石の「坊っちゃん」。確か中学生の頃に買った新潮文庫がまだ家にあったので久しぶりに手に取った。本文だけならわずか130ページほどなので、松山に着くまでには読み終えてしまった。他に、今回の松山でも参考にしたのは太田和彦の「ひとり旅ひとり酒」。居酒屋巡りでは太田和彦の「居酒屋味酒覧」がとても参考になるのだけど、先週の倉敷もこの松山も、残念ながら掲載している店がなかったのだ。

松山空港からはバスで市内へ。JRよりも大きな顔をしている伊予鉄道松山市駅でバスを降り、大きなアーケード街をぶらぶらしながらホテルへ向かう。「坊っちゃん」を読み終えた後、JTBで名作と旅行ガイドを組み合わせたシリーズがあり、その中に「名作旅訳文庫8 松山 『坊っちゃん』夏目漱石」と松山のものがあるのを思い出したので無性に読みたくなる。松山に向かう途中の浜松町や羽田空港の書店を覗いてみたけど見つからなかったのだ。アーケードの中にある大きな本屋「明屋(はるや)書店」を覗いてみるとこのシリーズで1冊だけ置いてあった。さすがご当地書店。

ホテルは三番町にあるその名も「ホテル三番町」。目を付けた居酒屋に近いということを基準に選んだけど、街中のホテルにも関わらず温泉がひかれているというのはさすが松山だ。
ホテルにチェックインすると早速路面電車道後温泉を目指す。





道後温泉駅は明治時代をイメージしたかわいい駅舎。駅前には蒸気機関車を模した「坊っちゃん列車」や、坊っちゃん、マドンナに扮した観光案内人がいて楽しい。
道後温泉本館までの道はアーケードの商店街になっているけど、この商店街の中にも坊っちゃんゆかりのお店がある。夏目漱石が松山に来た当時からある団子屋「つぼや」では、「坊っちゃん」にも団子を食べるシーンがあるので坊っちゃん団子という名前が付けられた団子を買う。商店街の曲がり角のお土産屋さんは、夏目漱石が来た当時は旅館で、3階には夏目漱石が使用した部屋があるそうだ。


さて道後温泉。本館の建物はずいぶん立派で、これは1894年に完成したもの。夏目漱石が松山に来たのはその翌年のことだそうで、つまりは夏目漱石も訪れた温泉ということになる。温泉に入るにはいくつかのコースがあり、一番安いのは神の湯に入るだけの400円から、高いのは3階個室休憩付きの霊の湯(たまのゆ)1500円まで4段階ある。どれにしようか迷って、2階席休憩付きで皇室専用浴室の見学もできる霊の湯2階席1200円にした。このコースは浴衣とタオルを貸してくれ、お茶とお菓子のサービスもつく。

霊の湯に行くには一度2階に上り、それからまた階下に降りる。浴室はそれほど広くはないが、深さが結構ある。浴槽の縁の段差に腰をかけて温まる。神の湯の方には「泳ぐべからず」の木札がかかっているそうだ。後で神の湯にも入ってみよう。

霊の湯から上がると2階のお座敷で休憩。「つぼや」で買っておいた坊っちゃん団子をここで食べる。お座敷と言っても広間に一人分ずつ座布団が敷かれていてひとりで独占できるわけではないから、横になって休憩するというわけにはいかない。それでも開け放った窓から入る風が涼しい。しばしの休憩の後、皇室専用浴室「又新殿」の見学に行く。皇室専用と言っても最後に利用したのは昭和25年の昭和天皇が最後と言うからだいぶ使われていないようだけど、前室、御居間、玉座の間、そして着替える部屋に浴室を専任の案内人のガイドで見学した。なんでも浴槽に入るわけではなく、白い着物の上からお湯を掛けるだけだったのだそうだ。天皇も大変である。道後温泉には他にも「坊っちゃんの間」という部屋があり、夏目漱石や「坊っちゃん」に関する資料が展示されている部屋があった。

霊の湯のコースでは、神の湯にも入ることができるそうだけど、明日入ることにしよう。温泉の後は、目の前にある道後麦酒館で地ビールを飲む。温泉のすぐ横にあると言うロケーションが最高である。

再び路面電車で市内に戻る。これからは居酒屋巡りの始まりだ。まずは「たにた」。愛媛の名物はじゃこ天だと聞いたので、熱燗にさわらの刺身、それにじゃこ天を頼む。じゃこ天は、いわゆるかまぼこと比べて、小魚の骨っぽい感触が残るところが歯ごたえがあってよい。松山は来週10月5日にお祭りがあるそうで、この日も御神輿が街中を練り歩いている。この「たにた」でもご主人が街の顔役らしく、店の前には休憩所が設けられ、若い衆が何人も店を出たり入ったりしていて賑やかである。おかみさんは落ち着かなくてすみませんねえ、というが、情緒があって見ているだけで楽しい。それからやまかけ豆腐と香り上げを追加で注文する。香り揚げは鯛をしそで巻いたもので、香ばしくておいしい。ちょうどお店の前を御神輿が通るところで会計とした。

さて次はどこに行こうかなと思い覗いた「せくら」はあいにくと満席だった。松山の夜はどこもにぎやかである。繁華街をぶらぶらと歩き、ビールでも飲みたいなと思ってインターネットを使って探したのが、松山で唯一樽生ギネスが飲める店という「Bar JuJu」は外階段から2階に上ったガラス窓が明るいバー。ワインが中心で料理も出せるそうだけど、軽くギネスをミディアムで1杯。お店の人は若い男性が多いが、しばし話し相手になってくれた。

次は楽しみにしていた「バー露口」。四国で最初にオープンしたサントリーバーだそうだ。外観はだいぶくたびれているがとても人気のある店らしい。カウンターしかない店に入るとわずかに空いていた席に案内されたが、残った席もすぐに満席になり、後から入ってきたお客さんはまた後で来てね、と断るくらい。ちょうど満席になる前に入ることができてラッキーだった。この店の名物はハイボール。今のハイボールブームのずっと前から作り続けている人気メニューだ。早速僕も頼む。コースターに描かれているのはマスター夫妻と52周年の文字。記念にもらっていこう。このお店の楽しいところは、おかみさんの人なつっこさだろう。ご主人が黙々とお酒を作る隣で、初めての客も常連さんも、区別せずににこにこと話しかけてくれるので、とてもリラックスして話の輪に入ることができるのだ。酒の味がどうのこうのというより、マスター夫妻の人柄が客を引きつけるのだろう。


さて日曜日は何をしよう。あまり考えていなかったけど、郊外にあるというターナー島を見てみよう。それから展示されている1号機関車というのも見てみよう。それから松山城坊っちゃんゆかりの地めぐり、坊っちゃん列車に道後温泉と結構盛りだくさん。回りきれるかな?

ホテルでは宿泊客用に無料のロッカーがあったので利用させてもらう。それから路面電車松山市駅へ向かう。路面電車は一日乗車券450円を車内で買った。

松山市駅からは郊外に向かう電車で、高浜行きに乗る。途中で、路面電車との平面較差があるのが珍しい。路面電車は自動車と同じように信号待ちをするから、きっと郊外電車の踏切待ちをする路面電車、というシーンもあるのだろう。なんだか面白い。

20分ほどで終点の高浜に着く。ここからは歩いてターナー島が見える場所を目指すけど、案内板がおおざっぱなので適当に海が見える道路沿いを歩いて、行き過ぎたことに気づき戻りつつ、海辺に出る。そこには小さな看板が出ていて、沖にはなるほど小さな島が見える。あれがターナー島か。ターナーといえばイギリスの風景画を描く画家で、ずばりどの作品という名が出てくるわけではないが、イメージとして目に浮かぶようである。

そこから高浜駅に戻るのと、一つ松山よりの梅津寺に行くのとでは距離的にさほど変わらなく、また梅津寺には伊予鉄道の1号機関車があるというので梅津寺まで歩くことにした。梅津寺には以前伊予鉄道の経営する遊園地と海水浴場があったそうだけど、今はどちらも閉鎖されているとのこと。代わりに愛媛FCのクラブハウスができたそうだ。1号機関車はその閉鎖された公園の中にあるが、今でも維持のために50円の入園料が必要となる。せっかくここまで来たので50円を払って機関車を見に行く。この期間車は明治21年に伊予鉄道が開通したときから使っていた機関車だそうで、これこそが夏目漱石や「坊っちゃん」が乗った汽車なのだろう。今街中を走っている坊っちゃん列車は、この機関車のレプリカというわけだ。

梅津寺から再び電車に乗り市内に戻る。ちなみに梅津寺の駅はその昔テレビドラマ「東京ラブストーリー」の最終回のロケ地に使われたそうだ。トレンディードラマと言われたそのドラマ、平成3年の放送当時僕はテレビを持っていない生活をしていたのでどんな話なのかはわからない。

電車は松山市駅まで行くが終点まで乗らずに、古町駅で路面電車に乗り換えて大街道駅へ。今日も御神輿が街を練り歩いている。次は松山城だ。松山城は山の上にある。ふもとから松山城まではロープウェーとリフトが出ているが、ロープウェーに乗った。案内人はここでも袴のマドンナ姿。なぜかロープウェー乗り場では記念写真を撮らされた。帰りに買ってくれ、ということらしいけど、帰りは別の道を降りるから戻らないのだ。

ロープウェーを降りてもしばらくは歩く。松山城天守閣が完成したのが安政元年で、そのまま現在まで残っている。安政元年は1854年。間もなく幕末の時代となるが、末期とはいえ江戸時代のお城な訳だ。天守閣は戦いのための建築物だから生活感はないのだが、なんでも松山城天守閣は天井板があったり畳が敷ける構造になっていたりと不思議な造りなのだそうだ。何の意図があったかは定かではないそうだけど、風変わりな城主だったのだろうか?天守閣からは松山の街並が一望できる。いかにも一国一城の主になった気分だ。

城を降りて愛媛県庁の脇を通り抜けたら、今度は市内に点在する夏目漱石の足跡を巡る。ちなみに愛媛県庁舎は、1929年完成の建物で、現役では大阪、神奈川に次いで古いものだそうだ。同時期の庁舎はどれも似た雰囲気を持っていて、見ていて楽しい。

漱石が教えて、坊っちゃんの舞台でもある松山中学跡地は現在はNTTになっている。昭和33年、当時の電電公社の建てた記念碑があった。


それから、きどや旅館跡。漱石が泊まり、坊っちゃんも最初に泊まった宿として登場している。現在は一般の民家だそうだけど、それでも歴史のありそうな家に見えた。


もう一つの漱石の下宿の愚陀仏庵跡は、なんと昨晩行った「たにた」のお隣だった。それならお店の人に話を聞くんだった。この愚陀仏庵は別のところに復元されているそうなのであとで見に行こう。


すぐ近くの香川銀行松山支店は、特に案内はなかったけど、「旅訳文庫」によるとうらなりの送別会の会場となった「花しん亭」のモデルの「花迺屋(はなのや)」の跡らしい。


再び路面電車の通る大通りを渡り、今松山で一番の話題らしい「坂の上の雲」ミュージアムの脇の坂を上ったところにはきど屋旅館の後に漱石が下宿した愛松亭の跡。漱石が東京の恩師に宛てて書いた手紙が石碑になっている。


その先には先ほど見た愚陀仏庵の復元したものが見られるはずだったけど、なんと今年の7月の大雨の影響で土砂崩れにより建物が壊されてしまったそうだ。看板には申し訳なさそうに愚陀仏庵「跡」と書かれていた。うーむ、残念。唖然としながら、同じ敷地にある愛媛県指定有形文化財萬翠荘を代わりに見学することにした。ここで愚陀仏庵復旧の募金を行っていたので、僕もささやかながら寄付してきた。


そろそろ帰りの時間が気になってきたが、まだ坊っちゃん列車に乗っていない。坊っちゃん列車の運行時間は決まっているので、とりあえずホテルに戻り預けた荷物を拾って、道後温泉に行こう。残念ながら再び温泉に入る余裕はなさそうだったので、駅前の足湯で我慢する。駅の中の売店で整理券をもらい、坊っちゃん列車に乗車する。松山市駅に向かう列車の乗客はなんと僕一人だった。貸し切り状態で列車は出発した。客がひとりでも車掌さんは大きな声で道中案内をしてくれる。

松山市駅で降りると、世にも珍しい機関車の方向転換を見物した。電車なら前と後ろの両側に運転席があるから構わないが、機関車は終点で方向を変えなくてはならない。大きな機関車であれば転回台を使ったりするのだろうけどここにはそのような施設は見当たらない。どうするのだろうかと見ていると、なんと線路の途中で機関車が持ち上がり、さらに人力で機関車を回転させるのだった。客車も機関車の後からこれまた人力で押して機関車に連結していた。なんとも面白いものを見た。iPhoneのビデオで撮影したものでご覧下さい。


松山市駅前からバスで空港に向かい、最後に松山の味、鯛飯とじゃこ天を食べて松山を後にした。


そういえば、「旅訳文庫」には、道後温泉坊っちゃんの石碑の裏側にある文が書かれていると書いてあったが、何が書いてあるのかを見てくるのを忘れたのでまた行かなくてはならないな。神の湯にも入り損ねたし。

ところで今回「坊っちゃん」を改めて読んでみると、小説の中では舞台を松山とは特定しておらず、でも松山なのは明らか、逆に舞台の街(松山)を決してよくは描いていないということに驚いた。それなのに松山と言えば坊っちゃんのイメージで売っているのは不思議だった。


松山のその他の写真はこちらに載せましたので併せてご覧下さい。




ひとり旅ひとり酒

ひとり旅ひとり酒

名作旅訳文庫8 松山 『坊っちゃん』夏目漱石

名作旅訳文庫8 松山 『坊っちゃん』夏目漱石