福島県広野町

去年の4月から、毎月福島や宮城に行っていた。大震災から1年が過ぎて、心の中でも何か区切りがついたような気がするが、被災地のことを忘れないために、これからも月に最低1回は東北地方に行こうと思った。去年の4月も自分自身のことで精一杯で、身の回りが落ち着いてくると他の人たちのことなんか気にしなくなっていた。でも東北に行ってきた人の話を聞いて、4月末に自分もいわき市に行ってきてその気持ちが吹っ飛んだ。

それから1年。今年もやはり4月になって自分のことを優先しだしてきてちょっと気が緩んできている気がしてきた。
スコップ団の活動も一段落して、次は何をしようか、個人で参加できるところは少なくなってきたけど、それでもまだ探せば人手を必要としているところはある。それでもやはり福島のことが気がかり。仕事も忙しくなり土曜日の休日出勤も増えてきた。心の中にもやもやを抱えながら、今月の予定を考えると、体を動かすボランティア活動は行わないまま終わりそうだった。それならばせめて現場の様子を見るだけでも行ってみよう。

行き先は福島県広野町常磐道は本来は常磐富岡まで開通しているが、原発事故のため一つ手前の広野が終点になっている。そこまで行ってみよう。

広野町は、北隣の楢葉町警戒区域になっているため、係員のいる出口で高速を降りる時には仙台方面には行かないね?と念押しされ、楢葉町に向かう道路には通行止めの看板が目に入った。

そしてこの町にはJヴィレッジがある。もともとはサッカーに関する施設だが、今は原発事故対応の作業員が詰めている前線基地になっている。
警備員こそいなかったが、バリケードがあったり撮影禁止の看板があったりものものしい雰囲気が漂っている。

そこそこに引き上げて、近くの公園の桜が目に入ったので立ち寄ってみると、そこは門が閉じられており中には仮設事務所が建ち並んでいた。ここも作業基地になっているのだろう。天気があまりよくないせいもあるが、人の気配がない。

続いてJRの広野駅に行ってみた。

常磐線は上野と仙台を結ぶ路線だが、南側はこの広野駅までしか運行していない。広野駅は、文部省唱歌の「汽車」に出てくる歌詞「トンネルの闇を通って広野原」のモデルになったと言われている。駅のホームに歌碑が建っているので、写真を撮らせてもらいたいと駅員さんに聞いてみたが、却下されてしまった。鉄道を利用しないのだから仕方がない。駅前の銀行の入り口に歌詞が書かれていたのを代わりに写真に撮った。

広野駅まで開通しているというものの、駅前の通りの商店のシャッターは皆閉じられている。人通りも少なく、寂しさが漂う。


6号国道沿いにある広野町役場でも桜の花が満開で咲いていた。広野町は一時は緊急時避難準備区域となっていて、いわき市内に役場機能を移していたが、今は解除されている。それでもまだ町外に避難している人は大勢いるのだろう。町のあちこちに見られる桜も寂しく咲いているように見える。




自分の住む街が急に立ち入り禁止区域になって家に帰れないことになったらと思うと胸が痛い。
その痛みを感じることができたことだけでも今日広野町に行ってきた意義を感じた。

その他の写真はfacebookのアルバムにて。