福島県いわき市、楢葉町

代休で仕事が休みとなったこの日、福島県に行ってきた。
気がつけば去年の4月から毎月最低1回は東北に行ってたのでこのまま月一訪問を続けたいと思っていた。今月はまだ行っていないし、今日を逃すともう行けないので、今日行ってこようと思ったのだ。

とは言っても主なイベントは週末に集中するし、平日にボランティア活動を受け付けるところもないので、一人でふらりと北に向かうことにした。家の前の国道6号線を北に向かって高速道路経由で行こうかと思ったその瞬間、そうだこのまま国道6号線を北上してみようと思いついた。

茨城県から福島県、そして宮城県に通じている国道6号線。これまで震災復興支援のために訪れたいわき市や山元町、そして南相馬市ももちろん国道6号線が通っている。これまでは常磐高速を使って北上していたが、国道を使うことでより地元の生活感に近づけるのではないかと考えたのだ。

ひたちなか市から、一瞬だけ那珂市を経由し東海村久慈川を越えて日立市を走る。高校が日立市内にあったので懐かしい空気が漂う。そして高萩市北茨城市を通過し、県境を越えると福島県いわき市に入る。

いわき市内では高速道路かと見間違えるようなバイパスが走っているのだが、今回はバイパスは通らずにいた。

お昼はリニューアルした道の駅よつくら港でうにの貝焼き入り海鮮丼を食べた。


道の駅よつくら港は津波被害にあったものの仮設営業を続けていたが、その後リニューアルオープンしていたのだ。新店舗は2階建てで、1階が地元の物産販売、2階が食事が取れる場所になっていた。万が一津波が来た場合には2階に避難することになる設計だそうだ。


食事の後は1階の店を一回り見て、地元の高校生がプロデュースしたラムネ「フラムーネ」とか漬物、そしてLight Up Nipponの花火協賛のワンカップなどを購入した。


いつの間にか外は雨が降り出し、雷もなってきたが、このまま北上を続けた。

以前はいわき市の隣の広野町まで行ったが、2012年8月12日からはさらにその北隣の楢葉町までが警戒区域から解除になり、一般の人が行けるようになった。しかしそうは言っても用のない人が行くところではない。警戒区域が解除になり誰でも自由に出入りできるようになって却って治安が悪化するのではと心配する声があるという文も見た。警戒区域が解除となっても夜間に滞在することは許されていないのだ。だから道路を走る車も少ない。歩いている人は全然見かけない。走っている車にしても、工事の車だったり原発作業員を乗せるバスだったりして思わず息を飲んでしまうような光景が広がる。

途中にあった「道の駅ならは」に立ち寄ってみたら、そこは本来の道の駅ではなく、双葉警察署の臨時庁舎になっていた。

国道6号線は楢葉町の北の富岡町との境で検問が行われていて、そこで許可証のない車は通行止めとなっていた。当然僕は許可証など持っていないので検問所で引き返してきた。ここで今回の国道6号線北上の旅は終わりを迎えた。北へ向かう道路標識には南相馬や仙台の文字が記載されている。しかし今は途中で分断されていてまっすぐは行けないのだ。その現実が悔しい。いつの日か必ず国道6号線、またはJR常磐線もしくは常磐高速で仙台に行けることを夢見ていこう。

帰りは常磐高速でまっすぐ帰ろうと思ったが、広野と四倉間が工事通行止めとのことなので四倉まで戻る。その途中いわき市久之浜を通ることになるので、ふと思い出して久之浜第一小学校に寄ってみた。ここには久之浜地区の商店街が仮設店舗で営業をしているのだった。その商店街の名前は浜風商店街。もちろんその名はインターネットを通じて知っていたのだが、これまで訪れる機会がなかったのだった。


商店街はプレハブ長屋が2棟、9店舗が入っている。どのお店で買おうかと思ったら酒屋さんがあったので覗いてみる。福島の地酒も当然おいてあり、どれかを買ってみようと迷っていると、商店街の名前がそのままついた純米酒があったのでそれを買ってみる。会計のときにお店のおかみさんが話しかけてきた。どこから来たの?というので茨城からで、久之浜には以前ボランティアで来たことがある、と答えて、逆に久之浜の話を聞かせてもらった。つい先週末には花火大会があり、僕は行きたかったけど仕事で行けなかったと言うと、花火は浜辺であげて、どの家から見ても特等席になるくらい近くでよく見えたと話してくれた。


この商店街には「久之浜ふれあい情報館」というのもあったのでここも覗いてみると、久之浜津波被害の写真がたくさん展示してあった。そしてその後の復興の様子が記録された本や新聞などもあった。ここでも地元の人の話を聞かせてもらった。たまたま相手してくれた人は茨城県那珂市にも住んでいたことがある方で、やはりこの地域は他人事ではないつながりがあると感じた。

楢葉町ではまだまだ緊張感が漂い、いわき市では困難に負けずに頑張る人たちを見て、やはり現場に来なければわからないことがたくさんあることを実感した。これからもなんとか時間を作って月一東北訪問プロジェクトを続けようと思う。