浪江町、南相馬市

この日は福島県浪江町に行ってきました。
お隣の南相馬市で活動する福興浜団が、4月1日から警戒区域の見直して立ち入りが可能になった浪江町で不明者の捜索をするということで、僕も約半年ぶりに活動に参加したのです。

福興浜団の代表の方は南相馬市在住の消防団の方で、津波でお母様と娘さんを無くし、お父様と当時3歳の息子さんがまだ見つかっていません。それでずっと海岸沿いを中心に不明者の捜索と家屋の片付け等の活動を継続しています。

僕は日曜日だけの参加でしたが、団としては浪江町に入るのは前日に引き続き2日目です。もちろんこれまでに警察や自衛隊などによる不明者の捜索は行われていたのでしょうが、これまで約2年間も一般の人が入れなかった地域なので、探せば何か見つかるかもしれない、という希望を持って活動を行っています。

当日は低気圧の影響で天気が心配でしたが、朝の時点では小雨だったため捜索を決行しました。朝9時に集合場所である南相馬の道の駅に集合したのは約40から50名程度でしょうか?地元の人たちもいますが、他にも僕を含めた首都圏各地から参加している人も多くいます。道の駅までは各自バラバラに集まるのですが、そこから浪江町までは立ち入り許可証のチェックが入ると言うことでチェックする時間を短縮するために乗り合いで車に乗りこみました。

国道6号を南下して浪江町に入ると、人気の無い街並が目に入ります。避難して無人となった地域を見て「死の街」と言ってやめさせられた大臣がいましたが、実際に目にしてみるとあながち間違っていないような気もします。

そして海岸沿いに進むと去年一昨年と何度も目にしてきた光景が再び目に飛び込んできました。何もかも流されて真っ平らになった地面。ところどころにちらばるつぶされて放置された自動車。あれから2年も経ったのに時が止まっているような土地がまだこの日本にあるのです。まったく言葉を失います。

今回僕たちが向かったのは浪江町の請戸地区。小さな漁港があったところのようですが、港には船が無く、代わりに陸の上に船が上がっていています。

そこでの代表からの指示は、何か不明者の手がかりになるようなものを探しましょう、ということでした。
波打ち際の消波ブロック、防潮堤の内側の草むら、基礎だけになった家の跡地の周りなどを、みんなで手分けして下を向いて歩きながら探します。


午前中約2時間歩いて、僕は名前のついた体操着を見つけました。近くの小学校の3年生の女の子のもののようです。近くに小学校があるためか、他にも学習道具などが見つかったようです。これらの持ち主はどうしているのでしょうか?

捜索活動中はもやっていて周りの様子がよく分からなかったのですが、お昼休憩中に一瞬だけもやが晴れたところ、南の方角に福島第一原発を肉眼で見る事ができました。ここは原発から約6.7kmの地点でした。

午後も引き続き捜索活動を行いましたが、だんだん雨脚が強くなったため予定より少し早くこの日の活動を終えました。

それにしても、2011年は福島県いわき市宮城県山元町で瓦礫撤去を行い、2012年は福島県南相馬市で同じく片付けを行ってきてだんだんと希望が見えてくるような気がしてきたのですが、2013年になって再び手が付けられていない姿を見て振り出しに戻ったような既視感を覚えました。
しかもここはすぐには戻れないような土地で、部外者の僕でさえ無力さを感じます。ここを故郷と感じる人にとってはどんな気持ちなのでしょうか?簡単に想像できるとは言えない気がします。

それでも、今日この場に集まった数十人の姿を見ると、決して自分一人じゃなく、一緒に行動する仲間がいるんだということで救われます。



南相馬の道の駅に戻った後は、あいにくの雨ですが、福島花巡りの旅再開です。南相馬道の駅のすぐ脇が公園になっていて、そこに咲いている桜。


南相馬市中心部の三嶋神社の桜。

花巡りのスタンプラリーはもう少し続くことだし、これからも福島の旅を続けたいと思います。

この2日間のそのほかの写真はfacebookのアルバムにて。