陸前高田〜南三陸〜女川〜石巻

ホテルで岩手日報を見ると昨日のレイルトレッキングの写真が載っていました。震災学習列車の方は北リアス線の方が紹介されていました。

ホテルをチェックアウトして最初に向かったのは「奇跡の一本松」です。数万本の松が広がっていた高田の松原のうち、奇跡的に残った一本の松、しかしその松も塩害により枯死してしまったため、保存のため加工されてモニュメントとして改めて植えられた松です。周りには低地の嵩上げ用に使う土砂を近くの山から直接運ぶ巨大なベルトコンベアーの施設が建ち、人工感がより一層強調されていました。

次の目的地に向かう前に、物産センターでお土産をいくつか購入しました。昨日飲めなかった陸前高田の地酒、酔仙を買うことができたので、家に帰ってから飲もうと思います。

陸前高田を出ると今度は宮城県に入ります。気仙沼市は去年の9月に訪れたことがありますが、その時はまだあった第十八共徳丸はすでに解体されて消えていました。

気仙沼市はそのまま通り過ぎて南三陸町まで行きました。この日のお昼は前回訪問時には時間が合わずに食べずじまいだった、仮設商店街である南三陸さんさん商店街名物のキラキラ丼にしました。これは季節ごとに変わるらしく、今はキラキラ春つげ丼という名前でした。海鮮だけでなく春野菜もあっておいしく頂きました。


南三陸町には、防災無線で避難を呼びかけた町の職員が犠牲になった防災センターの建物がまだ残っています。しかしこの建物は今後も残すかどうかの結論が出ていません。被害の凄まじさを実感できる建物であるのは間違いないのですが、その分残された遺族や、町の人たちにとっては見るのも辛いでしょう。残すかどうかは難しい問題です。


続いて石巻市に入りますが、北上川河口近くの川沿いには大川小学校があります。大川小学校は避難の方法に問題があり、実に74名の児童が犠牲になりました。学校のすぐそばには山がありました。その山に逃げていれば助かったのではと思わずに入られません。学校には慰霊碑が建てられていて、何人もの人が訪れてお祈りをしていました。



今晩は石巻市に泊まることにしましたが、その前に女川町にも立ち寄ります。
女川町では震災後に災害FMラジオ局が立ち上がりましたが、そのラジオ局を舞台にしたNHKのドラマ「ラジオ」も作られました。僕もこのドラマを見て女川町を応援したいと思いましたが、実際にその町に来てみると、応援しようという思いがより強くなります。女川町では、津波により横倒しになったビルがまだそのままで残っています。これもまた震災遺構です。女川町は震源地に近かったことからまず地震により地盤が緩み、その上に津波が来たためにビルが横倒しになってしまったのではと言われています。津波の圧倒的な威力をここでも見せつけられます。

女川町に来て思い出したのは、2013年4月に水戸芸術館で見た坂茂さんの仮設住宅の実物大模型でした。あの仮設住宅があったのが女川町だったことを思い出し、せっかく来たので実際に建っているところを見ておこうと思いました。平地が少ない土地に多くの人の住居を造らざるを得ない状況で考えられた、コンテナを利用した3階建ての仮設住宅が建てられているのです。その仮設住宅は町の野球場のグラウンドに作られていて、スコアボードやスタンドがまだ残っている中に住宅が建っているのが異様でしたが、そこで生活している人たちの気持ちはどうなんだろうと想像しました。

それから、「ラジオ」にも出てきた蒲鉾の高政に立ち寄り、蒲鉾を買いました。

夜は石巻市内のホテルに泊まり、居酒屋巡りです。しかし一軒目に入った「銀玉水」では石巻の地酒が品切れだったので宮城県内の大崎市で作られている一ノ蔵でガマンしました。ホテルのクーポンがあったので出してみたら、お通し代をサービスしてくれました。ここではホッキ貝とタコの刺身、それと2杯目はひれ酒を頂きました。

どうしても石巻の地酒が飲みたくて、もう一軒のお店に行ったのですが、その「三吉」でやっと石巻の地酒「日高見」を飲むことができました。