大阪出張で泊まったホテルがNHK大阪放送局の近くだったので、夜勤明けにスタジオ見学に行ってきました。
これまでにも何度かスタジオ見学に行ったことはありましたが、だいたいは休日に行くので収録もお休みでしたが、今日は収録をやってました。しかも主役の波瑠さんが演技しているところが肉眼でも見えました。あまり詳しく書いてしまうとネタバレになってしまうのでこれ以上書きませんが、第130回の撮影だったようです。「あさが来た」は全156回とのことなので、終盤、2月末か3月頭ころの放送の回でしょうね。見るのが楽しみです。
ちなみにNHKの見学用のエレベーターはあさが来た仕様になっていました。
その後、先週の大阪出張の時に手に入れたゆかりの地マップを片手に、近隣のゆかりの地めぐりをしてきました。
まずは大阪商工会議所にある五代友厚の銅像。
今まで五代友厚のことは知りませんでしたが、このドラマでは五代様のキャラが立っていますね。
続いては北浜まで歩いて大阪取引所の同じく五代友厚の銅像。
こちらは交差点の角地に大きく目立つように立っています。
この建物の中で「あさが来た」の関連展示もあったようですが、時間が合わなくて見ることはできませんでした。
それから、あさの姉、はつが嫁いだ先の山王寺屋のモデル、天王寺屋の店があった跡地にある石碑を見ました。
石碑にある「天五に平五 十兵衛横町」とは、天王寺屋五兵衛と平野屋五兵衛という2つの両替商が道を挟んで構えていたことから、合わせて十兵衛ということだそうです。
ちなみにドラマのはつは史実では春ですが、26歳で亡くなっているようです。でもドラマの中ではまだ生きているようなので、そこは史実とはいい方に違ってますね。演じる宮崎あおいさんが亡くなるシーンは見たくありませんからね。
ドラマであさが嫁いだ加野屋は、実際には加島屋といって、この場所に店を構えていました。その後加島屋はあさのモデル広岡浅子の働きによって大同生命になりました。この大同生命で「大同生命の源流 広岡浅子の生涯」と名付けられた展示が行われています。入場無料で見ることができました。
加島屋の歴史の解説から始まり、江戸時代の加島屋の仕事、新撰組にお金を貸した時の借用書、広岡浅子の資料としては、後に赤毛のアンを翻訳する村岡花子も広岡浅子の教えを受けたことを示す写真も展示してありました。
この大同生命の建物は、今のビルに建て替えられる前は有名な建築家ヴォーレルの設計の建物だったのですが、そのヴォーレルは浅子の娘婿の妹の夫という関係なのだそうです。だからこそ大同生命の建物を設計したのだと思われます。
すっかり日が暮れてしまいましたが、最後に訪れたのは梅花女学校発祥の地。
「あさが来た」のドラマ自体も面白いですが、主人公の広岡浅子本人も相当な波乱の人生だったようです。