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閖上捜索活動

仙台に行ったもう一つの目的は、名取市閖上地区の側溝捜索活動に参加することでした。僕はまだ2回くらいしか参加していないのですが、仲間たちがほとんど毎日のように活動しているので、また参加しなくてはと思っていました。

集合場所に行く前に日和山の近くにできた東日本大震災慰霊碑をお参りしました。

この慰霊碑の高さは盛り土の部分を含めて8.4メートルあり、これが閖上津波の高さだそうです。碑の近くには犠牲者の名前が記されていましたが、その中に茨城県日立市の方の名前もありました。

日和山には昭和3年の三陸津波の碑が横になっていました。

この碑には津波の恐ろしさが記されているのですが、長い年月が経ちいつしかその教訓が忘れ去られてしまったそうです。そして閖上ではまだ41名の方の行方がわかっていません。今日はその行方不明者の手がかりを探すお手伝いです。


集合場所の旧閖上中学校には14名の仲間が集まりました。前に参加してからだいぶ日が経ってしまったので周りの人たちのやりかたを真似して活動しました。まずは土砂で埋まってしまった水路をスコップで掘り起こします。掘り起こした土砂は次に捜索するためにブルーシートの上に乗せます。

その後熊手を使い土砂の中を細かく探します。

するとその中には衣類や生活用品が出てくるのです。自分が出来ることはほんの少しだけど、皆の力を積み重ねて少しずつ探していくと探しているものが見つかるかもしれません。

9月も下旬となりましたがまだ日差しが強い中、9時から15時近くまで捜索したところで今日の活動は終了となりました。


閖上を後にして帰ることにしましたがその前に山元町の常磐線山下駅に立ち寄ってみました。3年前にスコップ団の一員として活動した場所でしたが、すでに駅舎は取り壊されていました。駅前の橋元商店で飲み物を買い、店のご主人にご挨拶をし、山元町の記録を展示した「みんなの写真館」を見学しました。


山元町では新しい常磐線の工事が盛んに行われていました。新しい駅の近くには新しく市街地も作るようで、道路を走るのはほとんどがダンプカーでした。


帰り道は先週通行証無しでも通過が出来るようになった6号国道を通ることにしました。時間的には東北道と磐越道を通ってもあまり時間は変わらないようですが、距離は短いのです。今月頭にも同じルートを通って南相馬から帰りましたが、今日は途中での検問はありません。帰宅困難区域内は信号機は全て黄色点滅だし交差点でも脇道は通行止めだから、まるで高速道路を走るみたいにノーブレーキで走行できました。舗装もし直したのか前に通った時よりも快適な気がしました。でも時々警察の車も通るのと、動物が出るらしいのでスピードには注意が必要です。

今年の12月には仙台方面の常磐道が開通するようなので、今後はまた宮城にも行きやすくなると思います。