村松軌道跡地巡り

去年、東海村の歴史と未来の交流館で開かれていた村松軌道の展示でもらった廃線マップを手に、線路跡をたどってきました。本当は去年行こうと思っていたのが、夏は暑過ぎたし、その後はスケジュールの都合がつかないうちに季節はまた夏が近づいてきてしまいました。

今年もすでに暑くなってしまいましたが、今を逃すとさらに暑くなってしまうので、月曜だけど会社が休みの今日、行ってきました。散策するのだから歩くのがベストかもしれませんが、スタート地点の東海駅はともかく、ゴール地点の村松虚空蔵尊はバスのアクセスがそんなによくないと考え、それならば家から自転車で行くことにしました。

 

ただ、まっすぐ東海駅に向かった訳ではなく、ちょっと寄り道していきます。

ラソン道路の佐和駅近くには僕が幼い頃に通った市立佐野保育所(保育園だったかな?)があったのですが、今はすでに閉所されていて、別の場所で民間の運営に変わっているようです。元の場所にはすでに建物もなく、跡地になっていました。

また近くには小学生くらいから高校生の頃まで通っていた歯医者さんがあったのですが、こちらもすでに建物がなく、どこにあったかわからなくなっていました。

 

そして昔からあるのですが、ちゃんと行ったことがなかった二ツ森稲荷神社に初めて行ってみました。ここは古墳でもあるので、小高く土が盛り上がっています。

 

と、ここで御朱印帳を持ってくるのを忘れたことに気がつき一旦家に戻り、改めて東海駅に向かいました。

ここは村松虚空蔵尊の最寄駅ということで、駅前にはそのことを示す石塔が立っています。

 

その向かいの、今は駐車場になっているあたりが、村松軌道の石神駅だったそうです。ちなみに東海駅もかつては石神駅という名前でした。

 

東海駅の近くは区画整理がされていて、軌道跡とは全然関係ない道路ができているので、少し先まで進みます。村松方面に向かうメインの通りを越えて細い道に入るとそこからが軌道跡になります。

 

そして唯一残る村松軌道の痕跡というのが、常磐線をくぐる村松開渠。コンクリートで固めてあるのはだいぶ後の時代かもしれませんが、その手前の石組みなどは村松軌道時代からあるのかなと妄想しました。村松軌道は大正15年から昭和8年まで存在したものですが、どうでしょうか?

 

せっかくなので常磐線の電車が通るのを待ちました。

 

道路がクランク上に曲がっている場所には曲がり松がありました。この松も当時からあるのかな?

 

そして驚きなのは、軌道跡が祖父母がかつて住んでいた家の目の前の道路だったことです。

今はすでに祖父母も亡くなり、家も無くなって更地になっていましたが、その事実を知った時にはとても驚きました。

 

この辺りも軌道跡。

 

メインの通りと交差するあたり。この模型屋さんは前回スタンプラリーで回ったお店です。写真に映る歩道橋は村で唯一の歩道橋と子どもの頃に聞いていたのですが、今でもそうなのでしょうか?

 

真崎駅跡に向かう道路。

 

真崎駅跡の近くの十字路には、石碑と道標があります。

 

この面には「右 那珂湊方面 左 太田町方面」とあります。

 

こちらの面には「右 村松山 左 石神停車場」とあります。

その下には距離が書いてあるのですが、よく読めません。

 

ちなみにこの道標は大正4年に建てられたようですが、根元の方で色が変わっています。なんと、向きが本来の向きと違っているようです。

 

この辺りに真崎駅があったのでしょうか?

 

そして村松軌道の終点だった阿漕駅阿漕ヶ浦公園になっていますが、村松大神宮の神池だそうです。

 

村松軌道は本当は村松虚空蔵尊への参拝客を目当てにできた鉄道ですが、阿漕駅は虚空蔵尊からは少し離れています。用地が確保できなかったのかもしれませんが、そのためか旅客数も伸び悩み、開業してすぐに廃止になってしまったようです。

 

今日はもちろん虚空蔵尊まで行きますが、虚空蔵尊と並んで村松大神宮があります。

 

村松大神宮は、三重県伊勢神宮の分社で和銅元年(西暦708年)創建だそうです。

 

こちらが虚空蔵尊。正式には村松山虚空蔵堂だそうですが、昔から虚空蔵尊と呼んでいました。平安初期大同2年(807年)創建だそうです。

 

境内には三重塔もありました。

 

境内の裏側の斜面を登っていくと、水戸藩が定めた水戸八景の一つ、村松晴嵐の碑がありました。

 

一通りお参りして御朱印をいただこうかと思ったら、ちょうどお昼になり、担当の方が休憩しているとのこと。それではと僕もお昼を食べることにしました。

 

参道にあるレトロな軽食喫茶「野ばら」に入ります。

昔の喫茶店によく見かけたビデオゲームがテーブルになっている席に座り、エビピラフを注文しました。このビデオゲームは麻雀ゲームのようでした。

 

さらにこの雰囲気なので、クリームソーダも。

 

虚空蔵尊に戻り無事に御朱印をいただきました。

 

これで今日の目的は達成したので家に帰るのですが、途中にも景色のいいところがありました。那珂台地の谷間となる真崎浦を江戸時代から干拓を行った親子の使った船着場と、その近くの水田の広がる風景。こちらは現代の東海十二景の一つ、真崎浦夕照です。大昔は海だったところを人の手により埋め立てて水田にしたところのようです。

 

今日の自転車は、途中休憩や見学などもありましたが、午前9時過ぎに出発し、午後1時半ころまでの約4時間半でした。