今日は会社が休み、久しぶりに日立市にある日鉱記念館に行ってきました。
日立鉱山の跡地に建てられたこの企業博物館には2016年に県北芸術祭関連で行って以来です。
その時から今日まで、日立鉱山の大煙突をテーマにした映画「ある町の高い煙突」が公開されたり、日立鉱山の現在の会社であるJX金属が水戸ホーリーホックのスポンサーになったりと時代の変化があり、展示にもそれらが反映されていました。
入場は無料なのがなんとも太っ腹。館内は写真撮影もOKということで印象に残った展示を撮ってきました。
まずは日立の鉱山に目をつけた久原久之助氏の展示から始まりますが、地下には模擬坑道の展示があります。
今はすでに閉山している日立鉱山ですが、かつてはこのように地下で作業をしていたのでしょう。
興味深いのは、鉱業の歴史だけでなく鉱山町のくらしのコーナーです。僕も日立市にある高校に通ったので日立市の歴史にはとても関心があります。今のJR日立駅前から日立鉱山のあるあたりまで鉄道が走っていた時の記録などもありました。
そして以前来た時にはなかった、映画「ある町の高い煙突」の展示コーナー。
新田次郎さんの小説が有名ですが、その小説を原作にした映画が2019年に公開されました。その映画の撮影で使われた小道具、台本、衣装などが展示されていました。
そしてもう一つ、以前にはなかったコーナーは、水戸ホーリーホック関連。2022年にJX金属が水戸ホーリーホックのスポンサーになりました。受付のスタッフに声をかけると、JX金属と水戸ホーリーホックのコラボキーホルダーをいただきました。
ちなみに背番号29は、銅の原子番号です。
館外の自動販売機も水戸ホーリーホック応援仕様になっていました。
屋外展示もまた興味深いものがありました。
鉱山で使用されていた電気機関車。もちろん(?)日立製作所製でした。
竪坑の跡。
その竪坑と繋がっている巻揚機。このような大きな機械を見るとなぜか興奮します。
これは、日立鉱山のものではないですが、系列の鉱山で使われていたという人車。鉱夫たちはこれに乗って地下に潜っていったのです。
駐車場の近くにあった斜坑の入り口とその内部。中には入れませんでしたが、カメラを向けて内部を撮影してみました。
ここまでたっぷりと約2時間見学しました。
日鉱記念館から市街地に戻る途中で見る大煙突と、今も操業中のJX金属の事業所。大煙突は1993年に倒れてしまい短くなってしまいましたが、今でも日立市のシンボルです。僕も高校生の時にこの煙突を遠くに見ながら通学していました。
そして市街地に戻る途中にある日立市武道館に立ち寄りました。
この建物は、1917年、大正6年に日立鉱山の福利厚生施設として建てられた施設ですが、今も残っているのです。かつては共楽館と呼ばれたこの建物、役割が変わり内部は改装もされていますが、当時の繁栄を今に伝える貴重な建物です。
ちょっとわかりづらいですが、この唐破風の赤いところにに日立鉱山の社章が残っています。
中を覗いてみたら簡単な受付だけで見学可能でした。内部は体育館のようになっています。たまたま今日は卓球の練習が行われていました。
天井が舞台小屋の雰囲気を残しています。
柱にはかつての千社札のようなものが残されていました。
共楽館の窓から見える大煙突。
共楽館の前のバス停は、今は無き日立電鉄の名前が残っていたり、路線図も以前のものだったりして、懐かしさを感じました。
ちなみに6号国道から常磐高速の日立インターに通じる道を過ぎてから日鉱記念館に至る道の途中の道路は、昨年の台風大雨被害の影響が今も残り、数箇所が片側通行となっていたり、川の対岸のJX金属の敷地内の道路が崩れたままだったりしていました。陥落した道路の間にはトラックが崩れ落ちたままになっていて、結構ショッキングなシーンでした。
さて、日鉱記念館を見たら次は日立鉱山から派生した日立製作所の企業博物館も見たいと思い、大みか町にある日立オリジンパークに行ったのですが、日鉱記念館で時間を使い過ぎたせいか、途中で遅いお昼をたべてから到着した時には入館時間を過ぎてしまい入れませんでした。場所も近いのでまた日を改めて行きたいと思います。
その代わり、という訳ではないのですが、すぐ近くの大甕(おおみか)神社に行ってきました。国道6号沿いにあるこの神社、もちろん通り過ぎたことはこれまで何度もあるのですが、ちゃんと神社にお参りに行くのは初めてでした。
本殿は急に現れる鎖場の上にあります。
海にも近い神社であるからか、船の碇が奉納されていました。
お参りした後に御朱印を頂きました。
もらったパンフレットによると、この神社の始まりは明らかではありませんが、紀元前660年創祀とのことです。茨城県内では気温が35度を超える猛暑日になった地点もありましたが、神社の境内は木が生い茂り涼しい時を過ごすことができました。